「業態間競争、地域間競争、消費動向や景気など内外の変化にスピーディーかつ的確に対応できなかったことがこんな結果につながった」

県内流通業界を取り巻く年表

9月中の閉店が決まった沖縄三越。多くの買い物客が訪れた=19日午後

県内流通業界を取り巻く年表 9月中の閉店が決まった沖縄三越。多くの買い物客が訪れた=19日午後

 沖縄三越の杉山潤治社長は19日の会見で57年の歴史に幕を下ろす無念さをこう表現した。

 1957年創業の沖縄三越は、首都圏の大手百貨店「三越」のブランドイメージを強みに、那覇市の中心市街地を代表する百貨店として長年、地元客の支持を集めた。

 だが、県内外の小売企業による郊外型の大型店出店競争が激化。消費者の低価格志向の広がりも加わり、高級品を中心に取り扱う百貨店は多様で魅力ある業態の小売店に客を奪われ、営業戦略自体を根本から見直さなければならない状況に追い込まれていった。最盛期の93年2月期に119億円あった沖縄三越の売上高は、直近の2014年2月期は76億円に落ち込んだ。

 沖縄三越は過去の事業拡大に伴う過大な投資で多額の負債を抱え、04年から債権者の銀行主導のもと、本業の百貨店事業と負債整理を切り分ける「会社分割」の手法を使って事業再生に着手。沖縄銀行など県内地銀3行と沖縄公庫、農林中央金庫などから借り入れた総額80億円あまりの負債のうち、約35億円を新会社に引き継ぎ、各金融機関が残りの債権放棄に応じた。

 複数の金融機関が協調して債権放棄し、企業再生を支援する県内初のケースとして注目された。県内41社から総額7億円の出資を募って資本増強したほか、提携関係にあった三越が新会社に出資した上で役員を送り、沖縄における「三越」のブランド力強化と維持に力を注いだ。

 当時を知る関係者は「沖縄の百貨店の『顔』ともいえる企業。なんとか再生させたいとの思いで県内企業が一致した」と振り返る。

■連携強化も不発

 三越との連携強化によって、扱うブランドや売り場づくり、営業戦略の随所に三越の“基準”が導入されるようになった。ある取引業者は「(三越は)出資額は地元より小さいのに、口は大いに出す。地元の市場にあった柔軟な販売戦略が実行できていない印象だった」と指摘する。

 会見で杉山社長自身も「若者に対応する若返り策について売り場環境や商品入れ替えが必要だったが、この地でこういう(若者向けの)商売が成り立つことを想定できなかったし、取引先にも対応していただけなかった」と語り、「熱意がなく、営業努力が不足していたといわれても仕方がない」と説明した。

■不景気に足止め

 消費動向の構造的な変化に加え、デフレの長期化や世界的な経済危機などの影響が、事業再生の歩みを停滞させた。08年のリーマン・ショック以降、首都圏の大手百貨店同士の経営統合や業務提携の業界再編が加速する中、三越は09年に不採算店だった宮城県名取市や鎌倉市、鹿児島市などの地方店を次々と閉鎖。沖縄三越の存続を危ぶむ声は県内外の関係業者から頻繁に聞こえてくるようになった。

 小売関係者は「沖縄三越の業績を考えると、いつ閉鎖が決まってもおかしくない状況だった」と話す。好調な空港売店などの事業を手放し、沖縄から「三越」の看板がなくなることに対するイメージ低下を危惧して撤退の決定が遅れたのではないか、との見方もある。(政経部・座安あきの)

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 老舗百貨店、沖縄三越が9月21日で閉店することになった。小売業界を取り巻く厳しい環境の変化に対応しきれず、沖縄三越の事業再生に向けた取り組みは実を結ばなかった。業界再編のあおりを受けた地方百貨店の現状を踏まえ、跡地で計画されている新事業の見通しと中心市街地再興の可能性を占う。