【那覇】宇栄原市営団地の給水塔(バル給)に熱い思いを寄せ、魅力を伝えようと取り組む人たちがいる。定期的に那覇市内で集まり、周辺地域のシンボル的存在として約50年前に建てられた「バル給」について語り合い、インターネットのブログで発信したり、調査も手掛ける。同団地の建て替えに伴い、8年後にはなくなるという「バル給」をテーマにした音楽づくりや写真展などのイベント企画も検討する。(吉川毅)

ファンの間で「バル給」といわれて愛される給水塔=宇栄原団地内

宇栄原団地の給水塔の模型や写真を手に、その魅力を語り合う「バル給ファンクラブ」のメンバー=那覇市小禄

ファンの間で「バル給」といわれて愛される給水塔=宇栄原団地内 宇栄原団地の給水塔の模型や写真を手に、その魅力を語り合う「バル給ファンクラブ」のメンバー=那覇市小禄

 会は「バル給ファンクラブ」。バル給とは、宇栄原の「バル」と給水塔の「給」を短縮した名称だ。メンバーは団地や近隣の住民、建築家など約10人。4年前に結成された。5月24日夜、市小禄であった会合ではそれぞれの思いを語り合った。

 1965年の団地完成から中央に立つ約30メートルのバル給は、周囲に高層ビルがなかったころはかなり遠くからも見えたという。ユニークなデザインと周囲を見渡す展望台機能が特徴だ。同会によると、壁の多数の穴はバナナの幹で開けられ、換気とデザイン性を兼ねているという。

 「沖縄のランドマーク的な思いを込めて造ったのではないか―」。バル給を設計した故・前田耕永さんの息子の耕司さん(39)は、こう語る。ファンの存在を知り同会に加入したばかり。「まさかファンがいるとは思わなかった。おやじが生きていたらとても喜んだと思う」

 父親と同じ建築家の道を歩み、「コンピューターがない時代にあのデザインの塔をよく造ったなぁと思う。おやじらしい設計だ」と誇らしく笑った。

 バル給の姿を定点観測している高良広輝さん(53)と、同団地で生まれ育った仲本力さん(40)。

 「子どものころ、塔の中に入ったことがある。当時はコンクリートの打ちっ放しだったが、あの時の感動は忘れない」と仲本さん。高良さんは「バル給についてブログで発信したら、米国の女性から『私は子どものころ団地に住んでいた。とても懐かしい』とコメントがあった。記憶の造形物なんですね」とそれぞれ声を弾ませた。

 本島にある100余りの公営団地を回り、給水塔の研究を重ねる建築家の亀崎義仁さん(34)は「バル給は県内で一番美しい給水塔。見る角度や場所によっても姿が変わる。機能的かつ芸術的だ」と語る。

 手作りした100分の1の模型を前に「県外から訪れる給水塔ファンもいる。給水システムの向上で、給水塔は消えゆく運命にある。新たに設計できないのが残念だ」と話した。

 メンバーたちは「バル給が存在するうちに思う存分記憶にとどめておきたい」と口々に話し、結束を確認していた。

 [ことば]給水塔 給水に必要な水圧を得るため水槽を載せて高くした構造物。同会によると、県内では1960年代から90年代までに建設、公営団地などに設置された。近年は地上に設置したポンプ式給水が主流になっている。