今年4月からネバダ州ラスベガスにある日本語補習校、ラスベガス学園で石垣島出身のマコーミックのぞみさん(37)が教壇に立っている。のぞみさんは、日本語をこれから覚え始める段階の3、4歳児クラスを担当している。

日本語補習校ラスベガス学園で教壇に立つ日本語補習校教師のマコーミックのぞみさん=ラスベガス

 「沖縄でも幼稚園で働いていました。でも、日本語ができて当たり前という子どもたちを相手にするのと、日本語が白紙の状態の子どもを相手にするのとでは全然違います。どうやって子どもたちに言葉を習得してもらうかが課題であり、同時にやりがいでもありますね」

 石垣島で18歳まで暮らし、その後、岡山県の美作女子大学(現美作大学)に進学、家政学部児童学科を卒業した。卒業後は沖縄へ戻り、宜野湾市の幼稚園で臨時職員として働いた。幼稚園の仕事がない時は、別の職種でアルバイトも経験した。

 「やはり子どもを相手にするのが向いているのか、楽しくて仕方なかったんですね。アルバイトをすれば臨時職員より高いお金を稼げることも少なくなかったんですが、自分としては楽しく働ける仕事を優先させたいといつも思っていました」

 そのうち、アメリカ軍に勤務する夫と結婚。沖縄を皮切りにネブラスカ、テキサス、カリフォルニア、ニューメキシコ、再びテキサス、2013年夏からネバダ州ラスベガスと夫の転勤に伴って基地のある地域を転々と移り住んだ。

 子どもは8歳の長男と4歳の長女2人。度重なる引っ越しは学校も友達も変わるため、新しい土地で子どもたちが順応できるかどうかがいつも悩みの種という。しかし、「私自身は『住めば都』という考え方で、自分なりに新しい土地でも工夫して楽しむようにしています」とのぞみさん。何も娯楽がない場所でも子どもと一緒に図書館へ通ったり、日本人の友達を見つけて集まるそうだ。

 「せっかく友達になったのに、お互いに別の基地に移る時はつらいけれど、『またどこかで会いましょう』と明るく別れるようにしています。基地内で会った沖縄出身の友達とは『里帰りした時に再会しましょう』と言うのが決まり文句ですね」

 のぞみさんは転々としながらも、アメリカで働きたいと思っていた。ところがこれまでの夫の赴任先でネブラスカ以外の土地には日本語補習校や日本語学校がなかった。そこで、ラスベガスでは「待っていました」とばかりに教員募集へ応募、念願の仕事を再開させることができた。「将来的には自宅でデイケアを経営したい」と夢を語る。やはり、どこまでも子どもを相手にしていたいのだ。

 彼女にとってのもうひとつの夢は、再び沖縄で生活することだという。「家族や親戚がいつもそばにいるという環境が恋しいです。いとこと一緒にうちの子どもたちを遊ばせてやりたいですね。こればかりは、主人が沖縄へ転勤にならないと難しいことですが」

 そして目を閉じれば、沖縄の美しい海が見えると話す。ラスベガスは内陸の砂漠の町。2、3年に1度、石垣島へは帰っているが、次の帰省が今から待ちきれないようだ。(福田恵子・ロサンゼルス通信員)