集団的自衛権を使えるようにするための憲法解釈変更に向け、政府は17日、安全保障法制に関する与党協議会に閣議決定の文案概要を示した。

 与党協議会はこれが7回目。集団的自衛権をどの範囲で認めるかという線引き論に終始し、重箱の隅をつつきあっているような印象をぬぐえない。

 公明党の反応をうかがいながら、自衛権発動の要件を示したり、引っ込めたり、修正したり、バナナのたたき売りのようにも見える。

 閣議決定の文案概要は、日本への攻撃がなくても、他国に対する武力攻撃が発生し、これによって「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される恐れがある」ような場合には、集団的自衛権の行使が認められる、としている。

 だが、このかぎかっこの要件は、田中角栄内閣が1972年に、個別的自衛権発動の要件として示したものだ。

 「恐れ」というあいまいな表現を盛り込めば、対象が拡大し、歯止めを失う可能性が高い。

 それよりも何よりも、与党協議会では、安全保障政策について本来、議論すべきことがほとんど議論されていない。それが心配だ。

 安倍政権の安全保障政策は、歴代の自民党政権と比べても極めて特異である。「抑止と対話」の両面から安全保障政策を総合的に推し進めるのではなく、「抑止」という軍事面の能力向上だけを突出させ、「対話」による関係改善の努力が全く感じられない。

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 歴史問題をめぐる対立を和らげることは、安全保障政策に役立つ。政府同士の信頼を回復することが、結果として安全保障にもプラスに働く。

 安倍政権は、そのような肝心な政策が手薄なのである。関係改善どころか、安倍晋三首相は靖国参拝で中国や韓国の反発を招き、そのほかの歴史問題でも対立を深めた。

 集団的自衛権の行使を認める立場に立つ日米の専門家の中に、安倍政権の下での解釈改憲を懸念する声があるのはこうした背景があるからだ。

 安倍首相は「血の同盟」に固執するが、不都合な現実には、あまり触れない。

 安保条約6条によって米国は、日本防衛以外の目的のために国内の基地を使用する権利を認められ、地位協定によって基地の排他的な管理権と自由使用を認められ、思いやり予算によって厚遇され、航空法などの国内法の規制も受けない。

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 安保条約は確かに「非対称的」ではあるが、しかし、条約5条に基づいて米国だけが日本防衛の義務を負っているのではなく、6条に基づいて日本もまた義務や過大な制約を負っている。

 その意味で安保条約は「非対称的な、双務性を備えた条約」だというべきだろう。6条に基づく重い負担のかなりの部分を背負っているのは沖縄である。地位協定の不平等性や重い負担を問わずに「血の同盟」の構築だけを主張するのは、あまりにも危険な発想だ。