世紀の嵐吹きすさみ 故山の草木貌(かたち)変え-。県立那覇高校の校歌の1番は「世紀の嵐」という沖縄の戦禍で始まり、故郷の山河、草木も変わり果ててしまった、と歌う。2、3番は復興などがテーマで、校名の「那覇高校」は4番で初めて登場する。「なぜこのような歌詞になったのか」。慰霊の日を前に、校歌を通して沖縄戦を考える授業が17日、同校であった。(西江千尋)

校歌に込められた平和への願いについて話し合う生徒たち=17日、那覇高校(金城健太撮影)

那覇高校校歌

校歌に込められた平和への願いについて話し合う生徒たち=17日、那覇高校(金城健太撮影) 那覇高校校歌

 全校生徒を対象にした特設授業で、歌詞とその意味を載せた資料などを基に校歌の成り立ちを各クラスで話し合った。

 初めて校歌の意味を知った生徒がほとんど。「戦争で全部奪われた苦しみを伝えたかったからじゃない?」「変わり果てた沖縄のありのままを表現して、忘れないようにしたと思う」とさまざまな意見が交わされた。

 前身の県立第二中学校の校舎は10・10空襲で焼失。沖縄戦で、二中の生徒は鉄血勤皇隊や通信隊として召集され、115人が命を落とした。

 那覇高は戦後の焼け野原から出発した。校歌は那覇市楚辺に戻った1949年に作られた。作詞した初代校長の故・真栄田義見氏は「絶望の底から生き延びねばならない。運命は自分たちで開拓するという希望を秘めている」という思いを同窓会の80周年記念誌に記している。

 同校放送部は2004年と10年に校歌を取り上げ、卒業生の沖縄戦体験などを取材したラジオ番組を制作している。授業では10年の番組が放送された。「爆弾が落ちたわけ。母は肉がはぎ取られた感じで。それを拾い集めて穴掘って埋めた」。生々しい証言に、表情をゆがめる生徒もいた。

 授業の最後、全員で校歌を歌った。「世紀の嵐」に続く2番では、「新沖縄の夜は明けぬ」と新しい時代の始まりをつづり、3番では戦後復興を担う若者の姿を描く。

 3年の新垣早恵さん(17)は「先輩たちが多くの命を落として、学校も失って、それが校歌として残された。今度は私たちが伝える。将来、校歌のことを子どもにも話したい」と話した。

■那覇高校のウェブサイト 校歌のページ

http://www.naha-h.open.ed.jp/index.php/2009-10-27-05-21-29