93歳、現役最高齢の語り部はその日、会場に来られなかった-。20万人超の犠牲者を生んだ沖縄戦から69年を迎え、体験者による語り継ぎが今、厳しい局面を迎えている。

講話が終わり、車椅子に乗って児童と握手をする安里要江さん(右)=20日、北中城村の島袋小学校

びっしりと講話の予定が詰まった手帳を見せる中山きくさん=沖縄タイムス社

講話が終わり、車椅子に乗って児童と握手をする安里要江さん(右)=20日、北中城村の島袋小学校 びっしりと講話の予定が詰まった手帳を見せる中山きくさん=沖縄タイムス社

 2日夜、那覇市内のホテル。大阪府から来た修学旅行生が待つ会場に、講話をするはずだった北中城村の安里要江(としえ)さん(93)は現れなかった。体調不良が理由で、直前に断りの連絡が入った。

 安里さんは沖縄戦で母親や夫ら家族11人を失った。生後9カ月の娘を背負い、4歳の息子の手を引いて、爆弾や銃弾が降り注ぐ「鉄の暴風」から逃げ惑った。死臭が漂う壕の中、娘は餓死した。死に顔も見られない闇の中、冷たくなった顔をなで続けた。

 戦後は保育園で働き、再婚して5人の子を育てた。60歳のころ、頼まれて語り部を始めた。思い出すと涙が止まらなかったが、それでも年40回のペースで続けた。「(戦争で亡くなった)家族と歩み続ける。これは使命だと思った」

 90歳を過ぎ、両膝に人工骨を入れる手術をした。めまいや手足のしびれで、寝込む日が増えた。直前まで悩んだ末、講話のキャンセルを決めることも多い。会場までの車の送迎を担う平和ガイドの松永光雄さん(60)は「講話中に倒れないかって、そればかり気にしているんです」。

■予定びっしり

 沖縄戦下の壕内で負傷兵の看護に当たった元白梅学徒隊の語り部、那覇市の中山きくさん(85)は今年に入り、依頼が倍増した。手帳を開くと、講話予定を示す緑色の文字がびっしり書き込まれている。

 「少なくなった語り部に依頼が集中している。体力的に厳しく、来年はもうやれない」と、中山さんは悩ましげに言う。

 昨年9月、ひめゆり学徒隊の元隊員が「ひめゆり平和祈念資料館」(糸満市)以外での講話を終了した。館外の活動は多い年で700件以上あったが、語り部の負担を考慮した。25年前の開館時は27人いたが、現在は86~89歳の9人。2012年末から4人が亡くなったり、体調を崩してやめたりした。

■身ぶり手ぶり

 講話に復帰した安里さんは20日、地元の小学校の児童約340人に向け、沖縄戦の様子を伝えていた。

 「戦争は怖いよぉ」「ドドドドッ、ドバーン」

 座っていた車椅子から立ち上がり、擬音語で「鉄の暴風」を再現し、身ぶり手ぶりを交え30分近く語った。

 「気づけば最高齢になりました。明日の命も分からんヨボヨボの体です。そろそろ、足洗わんといかんかね」

 自宅への帰り道、安里さんは名残惜しそうにつぶやいた。手帳には12月までの講話予定が記されている。

 「まだまだ足りんですよ。もっと多くの人に、戦争の恐ろしさを伝えたい」(矢島大輔)