慰霊の日を前にした「しまくとぅばで語る戦世 上映・語り・トークセッション」(主催・しまくとぅばプロジェクト、文化の杜)が22日、那覇市の県立博物館・美術館講堂であり、約150人の参加者が、島言葉を通して沖縄戦体験を継承する意義について理解を深めた=写真。

「しまくとぅばで語る戦世」のトークで沖縄戦体験を継承する意義について意見交換する登壇者=22日、那覇市、県立博物館・美術館講堂

 琉球弧を記録する会の映像作品「しまくとぅばで語る戦世」の上映後、元沖縄師範学校の鉄血勤皇隊で「伊良部方言辞典」著者の富浜定吉氏(84)が、自身の体験を出身地の宮古島市伊良部仲地の言葉で紹介。

 「戦ぬうとぅるっさ話(ぱな)し尽(つ)きらいんむぬ。我(ばん)や年(とぅす)ぁ15歳(とういつつ)あたーやすが、うぬ戦争体験あっしみーでぃ(戦争の恐ろしさは話尽きないもの。私は15歳だったがその体験を話したい)」と述べ、艦砲射撃を逃れながら首里から糸満市摩文仁まで逃げた経験などを振り返った。

 トークでは富浜氏と琉球弧を記録する会の比嘉豊光氏(64)、琉球大の狩俣繁久教授(59)、沖縄タイムスの与儀武秀記者(40)が登壇。

 比嘉氏は作品の創作意図について「戦時中も共同体の中では、しまくとぅばが日常だった。生の語りの声には力があり多様性がある」と強調した。

 狩俣教授は「生の語りで戦争の悲惨さが伝わりにくいこともあり、伝え方を工夫することも今後必要になる」と指摘した。

 与儀記者は「島言葉での戦争の語り直しは『方言を使う者はスパイ』とされた沖縄戦への問題提起の意味がある」と述べた。