慰霊の日の23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園をはじめ各地で、おごそかに慰霊祭が行われた。

 沖縄戦の体験者にとって「戦没者の追悼」と「平和への願い」は、切り離すことのできない一対のものである。

 33回忌が終わっても、戦争で亡くなった肉親への追慕の情は、何年たっても薄れることがない。孫を連れて平和の礎を訪れたお年寄りは、花やお茶をたむけ、石碑に刻まれた名前をさすって手を合わせ、「この子たちには戦争の悲惨な体験をさせたくない」と語った。

 戦争で亡くなった肉親への「追慕の情」と、二度とこの地に戦争をあらしめてはならないという「平和への願い」は、ウチナーンチュの根っこにあるもので、県民感情の核ともいえるものだ。

 沖縄戦から69年。体験者の高齢化が進み、戦場での経験を語れる人が急速に減っている。それと並行して、戦争を経験したことのない政治家による「戦争のできる国」への国家改造をめざす動きが後を絶たない。

 「いつか来た道を逆戻りしているのではないか」-平和祈念公園では、戦争への不安を訴える高齢者が例年にも増して多い、という印象を受けた。今年の慰霊の日の大きな特徴だ。

 だが、沖縄全戦没者追悼式での仲井真弘多知事の平和宣言は、戦争への不安や平和を求める切実な声を代弁し、世界に向かって沖縄ならではのメッセージを発信するものではなかった。平和が泣くような「平和宣言」だった。

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 昨年の平和宣言で仲井真知事は次のように指摘した。

 「沖縄は、今もなお、米軍基地の過重な負担を強いられています。日米両政府に対して、一日も早い普天間飛行場の県外移設、そして、日米地位協定の抜本的な見直しなどを強く求めます」

 知事は昨年までの3年間、県民世論を代弁する形で「県外移設」を訴えていた。ところが、今年の平和宣言は、名護市辺野古の埋め立てを承認した自らの一連の行為を弁解するような内容に変わった。

 「沖縄の基地負担を大幅に軽減し、県民の生命や財産を脅かすような事態を、早急に、確実に改善しなければなりません。普天間飛行場の機能を削減し、県外への移設をはじめとするあらゆる方策を講じて、喫緊の課題を解決するために、全力を注がなければなりません。そのために、私は普天間飛行場の5年以内の運用停止を求めているのです」

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 名護市の反対を押し切って辺野古で着々と進む新基地建設の動きと「県外への移設をはじめとするあらゆる方策」を講じることとは、一体、どのようにつながるのか。

 県外移設の公約を破棄したわけではないと主張してきた手前、無理に「県外」という言葉を挿入した印象である。

 外部に向けて発信するからには強いメッセージ性がなければならないが、平和宣言からは平和を希求する沖縄の切実な思いが伝わってこない。

 広島、長崎を含めこんな平和宣言、聞いたことがない。