「本土で見聞きするほとんどは、本島南部の話。でも沖縄戦の被害は県全体に及んでいたと分かった」。慰霊の日の23日、名護高校の敷地内にある「南燈慰霊碑」での慰霊祭に参加した京都大学の学生が話していた

 ▼沖縄戦を学ぶゼミで来県し「やんばるの沖縄戦」を調査。2泊3日の間、伊江島と本部町で話を聞いた。北部で繰り広げられた惨劇に「いろんな思いが湧いてきて、頭の中がぐちゃぐちゃになった」とため息

 ▼彼らと話しながら「沖縄戦=本島南部の激戦」の構図は筆者にもあったと自戒した。北部の戦争体験者と話す機会が増え、壕掘りや飛行場設営に疲弊し、山中で艦砲にはじき飛ばされ、日本兵に食糧を奪われ銃口を向けられた過去を聞いた

 ▼戦後は名護や石川、宜野座などに大きな収容所が設置され、老若男女がすし詰めで暮らした。栄養不足と不衛生な環境で弱者は力尽き、近くに埋められた

 ▼戦争にまつわる多くの体験や証言がある中、凄惨(せいさん)な部分に注目が集まりがちだ。だが、戦火をくぐった一人一人に、胸がつぶれるほどのつらく苦しい実相がある。時代や地域にとらわれず、丁寧に掘り下げていく作業がまだまだ必要だ

 ▼「僕らがきちんと伝えていかなければと思います。でも後輩は継いでくれるかな」。若い学生の言葉を、私たちもかみしめたい。(儀間多美子)