【糸満】「祖父は生徒たちを戦場に出した責任者。参列には不安があったが、温かく受け入れてもらった」。沖縄戦末期の1945年6月21日、具志頭村(現八重瀬町)の海岸で戦死した沖縄師範学校の野田貞雄校長=享年(53)=の孫3人とその家族5人が23日、祖父がまつられるひめゆりの塔の慰霊祭に初めて参列した。

ひめゆりの塔の慰霊祭に初めて参列し、手を合わせる故野田貞雄校長の孫の(左から)雅生さん、英樹さん。中央奥の白いシャツが、謙二さん=糸満市伊原

 野田校長は43年、県師範学校と県女子師範学校が統合した沖縄師範学校に赴任。戦中は、鉄血勤皇隊の学徒と行動を共にした。沖縄戦末期の摩文仁で「死を急がず生き永らえよ」と生き残った職員や生徒たちに伝え、その後に亡くなった。沖縄師範健児之塔とひめゆりの塔それぞれにまつられている。

 3年前、沖縄師範健児之塔の慰霊祭に初めて参列した孫の弁護士、謙二さん(57)=東京=が、兄と弟を誘った。謙二さんは「現在の平和は、沖縄の人々の尊い命の犠牲の上に成り立っている」と話し「きょうの慰霊祭に兄弟で参加し、その思いが強くなった」という。

 「野田校長は生徒思いだった」と思い出を語る元ひめゆり学徒の本村ツルさん(89)は「3人とも毅然(きぜん)とした姿が校長先生によく似ている」と話し「いつでも気兼ねなく訪れて」と再会を誓った。

 8人は同日午前、健児之搭慰霊祭にも参列した。