名護市辺野古の埋め立てに向けた動きがあわただしくなってきた。地元名護市の反対はお構いなし、自分たちのスケジュールに合わせた強行一点張りの対応である。

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向け、防衛省は1日、キャンプ・シュワブ内の建設予定地にかかる兵舎や倉庫などの解体作業を始めた。既存施設を壊し、護岸ブロックなどの仮置き場となる作業ヤード(作業場)を確保する。

 2日には臨時制限区域の設定を官報で告示した。反対派の阻止行動を封じるためだ。埋め立て予定地を大きく囲む約561ヘクタールの水域を工事が完了するまで常時立ち入り禁止にする。今月中に臨時制限区域の境界を示すブイを海上に設置し、早ければ今月下旬から海上21カ所のボーリング調査に入る。

 埋め立てを承認した仲井真弘多知事は、工事着手に対して「特にコメントすることはない」と静観を決め込む。その姿勢が、なりふり構わず工事を急ぐ政府を、結果として後押しする。

 異常な事態だ。普天間飛行場を抱える宜野湾市と建設予定地の名護市が、いやおうなしに対立的状態に置かれ、工事に投入される地元業者と反対行動の住民が現場で対立を強いられ、名護市民の間にも対立感情が生じる。それだけではない。新基地建設によって新たな基地利権が発生し、県内で「受益層」と「受苦層」の断絶が深まる。

 その先にあるのは、ずたずたに引き裂かれた地域社会の無残な姿である。

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 新基地建設には既視感がある。歴史のカレンダーをひもといて、60年前にタイム・スリップしてみよう。

 1954年7月、宜野湾村伊佐浜の水田13万坪に対し、米軍から耕作禁止の通告が出た。米軍は住民に立ち退きを勧告し、55年3月、武装兵とブルドーザーを投入して家を焼き払い、土地を強制接収した。

 伊江村真謝、西崎の農民も米軍から射爆場拡張のため農地の明け渡しを求められていた。54年6月、初めての立ち退き命令が出された。55年3月には武装兵が出動し、家に火を放ってブルドーザーで引きならし、民家13戸の強制的な立ち退きを実行した。

 土地を強制接収された伊江村真謝、西崎や宜野湾村伊佐浜の住民がその後、どれほど辛酸をなめたことか。

 米地上兵力が沖縄に集中した結果、県民がどれほど人権を脅かされ、生命・財産を奪われてきたことか。

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 普天間飛行場の返還のためとはいえ、基地の過重負担に苦しんできた沖縄で県内移設は禁じ手だ。立ち入り禁止区域の拡大、警戒船の大量投入、刑特法による逮捕…。今、名護市辺野古で起きていることは、有無を言わせない押しつけという意味では「現代版・銃剣とブルドーザー」と呼ぶのがふさわしい。

 日米両政府が公正・公平・平等の原則を踏みにじり、犠牲を一方的に押しつけるのであれば、国際世論にその理不尽さを訴え、関係国際機関に提起し続けるしかない。