8日に沖縄に接近した大型台風8号は、各地に甚大な被害をもたらした。沖縄は長年台風に苦しめられてきたが、人々は知恵や工夫で危機を乗り越えてきた。糸満の海人(ウミンチュ)文化を発信するNPO法人ハマスーキの上原謙理事長(70)と本紙でしまくとぅば随想を担当したエッセイスト儀間進さん(83)に、台風にまつわる海人や人々の暮らしに密着する言葉を聞いた。(社会部・内間健)

 糸満市西崎で、糸満海人工房・資料館を運営するNPO法人ハマスーキの上原理事長。「台風は『カジフキ』、大型のものを『マギカジフキ』と言って、糸満海人も怖がった。大勢の海人が亡くなった台風の遭難被害もあった」と説明する。戦後しばらく、台風時は、サバニ3隻ほどを帆柱でくくり、集落内のスージグァーに陸揚げし守った。

 海人は台風を風向きや速さ、雲の色で判断した。「北斗七星の方角を『カジンニー』(風の根)と言った。それを基準に、風の方向の変化や速さを感じた」

 岸から見て、リーフの内海は「ヤーウミ」、その外の外海は「フカッキサ」。その境目で上がる波しぶきも判断材料だった。

 他にも「『ニンガチカジマーイ』と呼ばれる旧暦2月には、波が荒れるので漁も控える。ハーレーはお祝いだけでなく、魚の稚魚を増やす禁漁期の意味もあった」。言葉とともに伝わってきた海人の知恵。上原さんは「僕らは海人のそういう言葉を残したいね」。

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 儀間さんは首里平良町出身。子ども時代の1940年前後、「台風が来る2日前ぐらいから『ティーダー、アケトータルン』と言っていた」。台風が来る直前には「夕日がふだんより、赤く見える」という意味だ。野山ではトンボが大量発生し、固まって飛ぶ光景も見られた。「風吹(カジフチ)チダーマー(トンボ)」と呼んだ。

 小学2年生のころ、茅葺(かやぶ)きの自宅が倒壊した。朝起きたら、天井が目の前にあった。「ぬー、なとぅうが」と驚いた。幸い、家族に大きなけがはなかった。

 沖縄戦直後の台風は怖かったと振り返る。当時は古いトタンを使うなど粗末な建物が多く、建材が風で飛んだからだ。進学した首里高校では、米軍から提供されたコンセット校舎が風に飛ばされた。生徒の1人として動員され、人力で建物を運びなおした。

 時代は移り、建物は丈夫になった。儀間さんは、今回の台風で、風よりも雨を気にするようになったという。「言葉は生き物。時代に合った台風のくとぅばも出てくるかもしれない」。