旧盆に各地で踊られるエイサー。勇壮な太鼓と派手な衣装のイメージが強いが、起源は仏教の念仏踊りといわれている。南城市佐敷・手登根区ではウークイの翌日、男性の手踊りが残る古式エイサーが踊られる。エイサーを伝えるしまくとぅばやゆったりとした踊りの特徴などを指導する宮城富男さん(72)に聞いた。(南部報道部・天久仁)

男女の手踊りが特徴的な南城市佐敷・手登根区の古式エイサー。国立劇場披露に向けたシュガーホールでの壮行公演=南城市のシュガーホール

 手登根エイサーは約400年前に始まったとされる。三線や太鼓が入る今の形になったのは1910年ごろ。「古式」といわれるが、私たちは「にんぶちゃー」と呼ぶ。「南無阿弥陀仏」と唱えて始まる踊りは、あまりないと思う。ウークイが終わっても、この世をさまよう霊を「お盆は終わりましたよ」と慰め、あの世に送るために踊る。

 私が青年会長だった62年は、旧暦8月16日午後8時ごろに男女約100人が集まって、ゆーあきどぅーし(夜明けまで)、各戸を回って踊った。この年に不幸があった家を除き約180軒を訪ね歩いた。

 歌詞は記録に残されていなかった。最近、区民の聞き取りをもとに文字化した。「南無阿弥陀仏や阿弥陀仏」で始まり、「アーマリーヌ親の代(ゆ)や変わらんさ」「2人の親の代よ、ミーヌクユヤー」と続く。念仏は、行き場のない霊をあの世に届けようという、民衆の優しさが込められている。

 手登根エイサーは創作エイサーのような躍動感はない。三線とかねと太鼓、女性が持つ鼓(ちぢん)などで構成する。手踊りも簡単。素朴であっても「あしびぬちゅらさや、にんじゅぬすなわい(人がたくさんいれば華やぐ)」と言うように、人数が集まれば見事なものになる。

 時代が移り、エイサーの各戸訪問もなくなった。約10カ所の拝所前で披露していた。だが2012年、手登根エイサーを国立劇場おきなわで演じた。区外で踊るのは1958年の守礼の門復元記念公演以来。4カ月の練習を経て本番に臨んだ。これを機に保存会が発足。「がんばてぃとぅらしぇよー(がんばれよ)」という機運が高まっている。

 手登根の人は「てどこん、ゆーゆーとぅー」といわれ、何事にも慌てない性質。だが、今回、古式エイサーを継続しようと本腰を入れている。手や足の動きが他の人と合わなければ、少し待って相手に合わせればだいじょうぶ。みんなが調和するようなエイサーであればいい。手登根の「にんぶちゃー」は「ゆーゆーとぅー」の言葉のようにゆったり、リラックスした踊りを残したい。