琉球民謡協会が主催する民謡コンクール三線の部で2014年、最高賞を受賞したのが、ロサンゼルスから参加した小野エイミーさんだ。エイミーさんは幼い頃から沖縄出身の母親のすすめで琉球舞踊を続けながら、15歳の時に三線も始めた。 

「琉球伝統文化の担い手になりたい」と抱負を語る小野エイミーさん=ロサンゼルス郊外ガーデナの三線教室

 「新聞に出ていた石原先生(琉球民謡の石原春雄氏)の記事を母が目にしたのがきっかけだった」と振り返る。もともと音楽は好きだったが、手応えを感じたのは2年後に参加した民謡コンクールで新人賞を受賞した時。その後、順調に優秀賞を受賞し、今年の最高賞につながった。

 「先日、月謝袋を見た時、始めてちょうど10年になると気付いた」と言うエイミーさん。10年間続けることができた理由は何だったのかを聞くと、「まず、三線の音が好きなこと。三線を弾くことで多くの人の出会いに恵まれたこと」と答えた。

 高校卒業後は教室から離れた大学に進学したため、稽古に通う回数が減ってしまった。「卒業してまた実家に戻って来た時、三線教室にまた毎週通えることがとてもうれしかった」そうだ。

 そして、エイミーさんは、民謡コンクールへの挑戦を続けた。師匠である石原さんは時間も費用もかけて沖縄に渡るには十分な準備が必要と、弟子の参加のタイミングに慎重だ。そして今年、見事、最高賞受賞を果たした。

 「発表の瞬間は、私より周囲の人たちが騒いでいて、自分としてはあまり実感がなかった。喜びは後で込み上げてきた」と語る。

 週末に民謡と舞踊の稽古に励むエイミーさんは、普段は大手日系旅行会社に勤務している。「オプショナルツアーの手配が私の仕事。日本から来るお客さんの現地ツアーの行程を組んだり、ツアー先と交渉したりする。私は直接、お客さんと触れ合う機会はないが、ツアーを楽しんだという御礼のメールが転送されてくると、自分の仕事にやりがいを感じる。また、お客さんの声をガイドから聞き、どのようなツアーが求められているのかも知るようにも努めている」

 ロサンゼルス生まれだが日本語にも不自由がない。日本人のスタッフとは日本語で話し、手配先とは英語で話す。

 「日本語学校は小学校2年でやめてしまったが、その後、漫画とアニメで日本語に親しんだ。好きだったのは『ドクタースランプ』のアニメ。テープがすり切れるまで何度も見た。また、親が買ってくれた日本語の本を読むのも習慣だった」

 将来の夢を聞いた。「踊りも三線も続けて、できれば教師の資格を取って、今度は自分が教える立場に回りたい」と、琉球伝統文化の担い手になる抱負を語った。その夢の実現のためにも、近い将来、本場の沖縄に渡って芸を磨くことも視野に入れているそうだ。(福田恵子・ロサンゼルス通信員)