2004年8月13日、米軍普天間飛行場所属のCH53Dヘリが、隣接する沖縄国際大学の構内に墜落、炎上した。地域住民を不安に陥れたあの事故から、13日でちょうど10年になる。

 多くの市民が心のどこかに、いつかこのようなことが起きるのではないかという不安を抱いていた。恐れていたことが現実になったのである。

 市街地のど真ん中に位置し、周りに学校や各種公共施設、住宅が密集する普天間飛行場の危険性と構造的欠陥をあらためて浮き彫りにした事故だった。

 忘れてならないのは、このヘリ墜落事故がイラク戦争の真っ最中に起きたことである。その年、海兵隊は、イラク中部ファルージャでの掃討作戦など、さまざまな戦闘に沖縄の部隊を派遣した。

 海兵隊は墜落事故から2週間もたたない8月22日、早くもCH53Dの飛行を再開した。イラクでの戦闘を支援するためだ。

 1972年に施政権が日本に返還されたにもかかわらず、沖縄では、住民の不安解消や原因究明は後回しにされ、米軍の軍事面の必要性が優先される。そのような現実を浮かび上がらせたのが沖国大へのヘリ墜落事故だった。

 事故発生で海兵隊員が基地のフェンスを乗り越えて大学側の了解もなしに勝手に構内に入り、規制線を張って現場を封鎖してしまった。

 日米地位協定の関連取り決めなどを根拠にして米軍は、日本側の捜査権を著しく制限したのである。

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 この事実は県民にとって屈辱以外の何者でもない。

 地位協定がもたらす屈辱感を日本人はどの程度理解しているだろうか。地位協定が、米軍基地の排他的な管理権と基地の自由使用を保障していること、そのことによって日本の主権が制限され、住民が不利益を被っていることを、日本人はどの程度理解しているだろうか。

 米空軍のHH60救難ヘリが昨年8月、宜野座村のキャンプ・ハンセン内に墜落、炎上した。5日でちょうど1年。宜野座村は墜落事故直後から、現場に近い大川ダムからの取水を停止したままだ。

 事故現場への村の立ち入りが認められたのは、事故発生から4カ月後の昨年12月3日のことで、目視調査のみ。県が土壌採取を目的に立ち入ることができたのは今年の3月17日で、7カ月以上も経過していた。これが地位協定で規定された排他的な基地管理権の運用実態だ。

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 サンフランシスコ講和条約によって日本は独立したことになっているが、こと米軍基地との関係で言えば、独立にはほど遠い。そのことを見せつけたのが沖国大へのヘリ墜落事故であった。

 沖縄では戦後、米軍機の墜落事故が頻発し、多くの民間人が犠牲になった。しかし、時間の経過とともに人々の記憶が薄れ、事故の存在自体が忘れられたケースも少なくない。

 記憶を風化させないための取り組みが必要である。