キャンプ・シュワブのゲート前には、民間警備員が立ちはだかり、その奧には県警機動隊員らが控えている。海上には、大幅拡大された立ち入り禁止海域にブイ(浮標)やフロート(浮具)を張り巡らし、海上保安庁のボートが厳重な警戒を続けている。

 こうした異常な状況下、辺野古の海にボーリング調査のくいが打たれた。辺野古で今起きていることは、沖縄と本土、沖縄県民同士の間に、精神的なくさびを打ち込むのに等しい。強権的手法で工事が進むにつれ、その亀裂は深まることが懸念される。

 くさびを打ち込んでいる主体は誰なのか、冷静に見極める必要がある。そんな中、圧倒的な権限で工事を強行する政府の立場を後押しする見解が、他県の知事から飛び出したことは残念でならない。

 宮城県の村井嘉浩知事は18日の記者会見で、ボーリング調査について「ベースにあるのは全体の利益のためだ。沖縄県民の皆さまも理解できない部分があろうと思うが、協力していただければ」と述べた。放射性物質を含む指定廃棄物の最終処分場候補地で、国のボーリング調査を受け入れる方針を表明している村井氏は「(処分場問題は)辺野古とは全く次元が違い、同列に扱うことはない」とした上で、「私は物事を判断するときは、自分の損得より全体の利益を優先してやってきたつもりだ」と強調した。

 普天間飛行場の辺野古移設が果たして「全体の利益」にかなうのか。「全体」とは何を指すのか。沖縄県民を指すのであれば明らかにノーだ。

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 新基地を造ってしまえば後は何とかなる、というのが政府の本音だろう。だが、県民にとって辺野古移設は新たな負担の始まりだ。事件事故や有事の際に標的にされるリスクを、住民は子や孫の代まで背負わなければならない。

 凄惨(せいさん)な地上戦を経て、戦後も「軍事の島」であることを余儀なくされた県民にさらなる負担を押し付けるのは許せない。沖縄に課し続けた安保の代償を踏み台に、経済成長を謳歌(おうか)してきた日本本土の側にこそ、そうした自覚が求められるのではないか。

 沖縄を軍事のとりでとし、中国との対峙(たいじ)姿勢を強める安倍政権の軍備強化路線は果たして国益にかなうのか。米海兵隊が沖縄に駐留しなくとも抑止力に影響しないことは軍事の常識だ。ジュゴンが泳ぐ自然豊かな辺野古の海は人類共有の財産でもある。

 軸足をどこに置いても辺野古移設に理はない。

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 アルフレッド・マグルビー在沖米総領事は「反対運動をしている沖縄の人は0か100しかない。建設的な、意味のある対話はできない」と語ったという。建白書に盛り込んだ普天間の県内移設断念要求は、沖縄が抱える基地負担のごく一部の軽減を求めたにすぎない。「0か100」という指摘は全く当たらない。

 沖縄の保守政治家にも反対が広がっているのは、民主主義に反する政治に強い危機感があるからだ。23日にはゲート前で大規模な抗議集会も開かれる。県民は常に「意味のある対話」を求めている。