【熊本県八代市で新垣卓也】70年前に南風原国民学校の児童が疎開した熊本・宮崎の地を訪ねる「第20回南風原町子ども平和学習交流事業」の一行は21日、熊本県八代市内の小学校や宿を訪問した。当時は日奈久国民学校だった八代市立日奈久小学校の校歌は歌詞もメロディーも変わらず、宿泊した宿も営業を続けていた。子どもたちは体験談に耳を傾け、70年前の生活に思いをはせた。

中村清さん(右)の体験談を聞く南風原の子どもたちと日奈久小6年の児童=21日、熊本県八代市・市立日奈久小学校

 1944年8月、一行の7人の体験者のうち3人が日奈久国民学校へ疎開した。足取りをたどるため、南風原の子どもたち12人と日奈久小を訪問した。

 中村清さん(81)は同小の校門横に建てられた「沖縄県同窓生友情の碑」の前で、70年前と変わらぬ校歌を日奈久小児童と歌った。「ひもじくて、道に生えている草も平気で食べた」と当時を振り返る。

 日奈久国民学校に通っていた約10カ月間、南風原からの疎開児童は八代市内の「新湯旅館」で寝泊まりしていた。旅館は創業から89年たった今も歴史を刻む。

 70年ぶりに旅館を訪れた金城安清さん(81)は、壁の高い所に下げられた黒い振り子時計を指さし「まだあったんだね」と驚いた。

 冬の寒さに慣れず、あかぎれや霜焼けが痛かった。金城さんは寒さを紛らすために「何回もお風呂に入っていたよ」。そんな浴場も当時と同じままだった。

 南風原小6年の天願智賀さん(11)は「疎開経験者がどんな生活をしていたかイメージできた。場所や風景が残されているのは貴重だと思う」と語った。