学童や一般の疎開者ら1788人を乗せた疎開船「対馬丸」が米軍潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃に撃沈されてから70年となる22日、那覇市若狭の慰霊碑「小桜の塔」前で対馬丸記念会主催の慰霊祭が営まれた。強い日差しとにわか雨で蒸し暑い中、生存者や遺族をはじめ国、県、市の関係者など約500人が参列。名前が分かっているだけで学童780人、全体で1485人に上る犠牲者の冥福を祈り、焼香した。

対馬丸の慰霊祭で焼香する参列者ら=22日午前、那覇市若狭・小桜の塔(金城健太撮影)

 同記念会の高良政勝理事長は「追悼のことば」で、「撃沈から70年のことしは、これまで証言していただけなかった生存者や遺族が徐々に胸の内を話し、遺影も提供してくれた。対馬丸記念館をより充実した記念館にするべく努力する」と決意。ことし6月に天皇陛下が小桜の塔などを慰霊し、生存者・遺族と懇談したことには「一つのけじめになるのではないかと思う」と述べた。

 来賓弔辞で、県遺族連合会の照屋苗子会長は「戦争という悪魔によって夢と希望が絶たれた。二度と対馬丸のような悲劇が起こってはならない」と犠牲になった学童たちを悼んだ。また、那覇市の新里博一福祉部長が翁長雄志那覇市長の弔辞を代読した。

 慰霊祭ではこのほか、学童が通った那覇市内の小学校の児童らでつくる「つしま丸児童合唱団」や、沖縄と神戸の合同合唱団が鎮魂の歌を披露。恒久平和を願い、参列者がオオゴマダラ70匹を大空へ放った。

 塔近くに建つ対馬丸記念館では、魚雷を受けた午後10時12分に合わせた追悼の集いもあり、漆黒の海に投げ出され、恐怖にふるえた乗船者に思いをはせた。