「名に立ちゅるウチナー 宝島でむぬ 心うち合わち う立ちみそり  ひや ひや ひやみかち うきりー」  このウチナー民謡は躍動感があり踊りたくなる。気合を入れて、立ち上がれ-。文字通り解釈して昔から好きだった。歌詞の由来、訴えようとするその意図は渡米10年後に認識。戦前、ハワイ経由でサンフランシスコへ渡米した県出身の平良新助氏が戦前、何十年ぶりに帰省した際、公園に飾られていた県知事(他府県出身)の胸像をみて彼はこう言ったそうだ。「えー ウチナンチュー ぬーが 盗ドゥがみ うがでぃ… 立ちみそーれー」(おい ウチナンチュ共よ どうして盗人神を拝んで… 立ちあがれ…) 

12歳の孫娘、ケイラさんが描いた「ヒヤミカチウキリー」と呼びかけるイラスト

 1987年に県出身の歴史研究家がそのような話をしていたのを記憶している。渡米して50年になる今、私はその連想を記す。

 島を離れて見ると、島の風潮が明らかに客観視できる。復帰15年後、私は県人会でイェイサー団体を結成する目的でイェイサーを習いに帰省した。その当時、健在だった母に連れられて見た婦人団体の踊りに違和感を覚えた。それらの動きはヤマトゥ踊りで、しかも衣装の模様もウチナーデザインではなかった。あと2日で沖縄をたつというのに失望した私を見て、母は中部での全島イェイサー大会に誘った。千原イェイサーを見たとたん気分転換。しかし、男だけの空手イェイサーで女はタブーだと知り逆に消沈した。

 しかし、それがむしろ刺激になり、結成した団体は初の世界ウチナンチュ大会に参加できた。沖縄に純真な伝統が残っていたのだ。それこそ、ひやみかち、立ちあがった心境だった。民族意識、独自性が芸能文化によって影響され、いかに価値判断が左右されたか思い知らされた。

 去年5月のアジア祭りでフィリピン代表が親孝行をテーマにスピーチをした。米在住博士は在米フィリピン人が故郷に送金する金額は年間25兆ドルと強調した。耳を疑った私はその人に後で「億ではないのか」と質問したら、「いや兆だ」と誇らしげに答えた。私に「貴方は日本人ですね。フィリピンは日本みたいに発展していないので…」と巨額な仕送りを正当化し、お互いに親孝行の定義を議論した。

 「魚を貰いっ放しではなく 魚の釣り方を習え」と英語で書かれたTシャツを着けた福祉員を見た事がある。幼児期にADHD(注意欠如多動性障害)の診断を受けると米政府から医療補助が入る。結構それが家賃になる。そんな収入をクレージーマネーと皮肉な表現をする。行動療法で治りそうな障害でも、補助金に依頼心を持ち続けている親の顔色を子どもは伺う。

 忍耐強く努力すれば多くの職業は可能になる。米国でよく表現されるタフ・ラブとは問題児や依存症の伴侶対象だけでなく本人自身をも甘やかさずに管理する事である。

 かすりの品評会では他府県の人が賞をとったとか、全国で沖縄の子どもは学力最低、マラソンも最後から1、2番…そんな話題になり、それを同じウチナンチュに話すと「だからよ」で話は終わる。話に進展なし。大志を抱いて島をたとうとはしない県内志向の若者たちが気になる。(てい子与那覇トゥーシー・ニューヨーク通信員)