昭和天皇の87年の生涯を記録した「昭和天皇実録」が公表された。国内外の公文書や元側近の証言など3千件以上の資料をもとに宮内庁が24年の歳月をかけて編さんした公式の記録である。

 沖縄に関係する記述の中で注目されるのは「天皇メッセージ」について触れている点だ。

 1947年9月19日、昭和天皇と面会した宮内庁の寺崎英成御用掛は、その日に連合国軍総司令部(GHQ)のシーボルト外交局長を訪ね、米国による沖縄占領について天皇の意向を伝えた。シーボルトは翌20日、その内容を文書でマッカーサー最高司令官に報告した。これが「天皇メッセージ」と呼ばれているものである。

 筑波大の進藤栄一名誉教授が79年に米国立公文書館で発掘したこの外交記録は、沖縄にとって衝撃的な内容だった。「天皇は、米国が沖縄の軍事占領を継続することを希望している」「その占領は米国の利益となり、日本を守ることにもなる」。

 発表当時、政府は国会答弁で、事実関係の有無を一切明らかにせず、逃げの一手に終始した。 

 実録で昭和天皇の生の言葉が紹介されているわけではなく、新事実が盛り込まれているわけでもないが、シーボルトの報告書が存在することを正式に認め、その内容を引用したということは、大きな意味を持つ。

 ここから浮かび上がるのは、共産主義の台頭を案じ、日本国憲法施行後も政治に間接的に「関与」していた天皇像である。

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 昭和天皇は45年9月から51年4月までの間に、11回もマッカーサーと会見している。 詳細な中身は実録でも明らかにされていないが、「日本の防衛」「国内の治安」「対日講和の見通し」「共産主義をめぐる情勢」などが話題になったことが記されている。

 冷戦が顕在化し始めた時期に会見が集中し、治安・講和・安全保障などの問題が話題になっているのは、昭和天皇の関心のありかを端的に示している。

 昭和天皇は、1946年(昭和21)2月に横浜を訪れたのを皮切りに、戦後、8年余りの間に沖縄を除くすべての都道府県を回った。全国で唯一、沖縄への「地方巡幸」が実現できなかったのは、沖縄が米国の施政下にあったからである。

 実録からは、復帰後、沖縄訪問を希望し続けていたことが分かる。贖罪(しょくざい)意識があったのかもしれない。

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 天皇陛下は2012年12月、79歳の誕生日に合わせて記者会見し、「日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないか」と述べた。昭和天皇が果たせなかったことを天皇ご夫妻が意識的に引き受けているのは明らかである。

 問題は、そのような思いが生かされないまま、冷戦期に出来上がった基地網を再編・新設し、半永久的に維持しようと日米両政府が躍起になっていることだ。

 戦後史の理不尽は解消されていない。