来月4日に開幕するプロバスケットボールbjリーグ。昨季、東地区最下位の埼玉ブロンコスの新ヘッドコーチに就任した下地一明(37)=那覇市出身=には、低迷するチームの再建という重責がかかる。大病と闘い、死の淵(ふち)から生還した指揮官は、2季ぶりのbjの舞台に向けて今、静かに闘志を燃やす。(小笠原大介通信員)

チーム再建の重責を担う埼玉ブロンコスの下地一明HC(左)=埼玉県所沢市

 東風平中、北谷高と全国屈指のプレーヤーとして将来を嘱望されていた下地。中央大でも得点王を取るなど明るい将来が待っているはずだった。しかし、大学3年の試合中、突然の病魔が襲った。

 「尋常じゃない冷や汗と激痛だった」。下された診断は「マルファン症候群」。大動脈などの血管が裂け出血する5000人に1人の難病だった。人工血管に置換する大手術を繰り返し、時には1カ月近い昏睡(こんすい)状態に陥るなど、医師から家族には「覚悟を」とさえ伝えられた。

 しかしその都度、見舞いに訪れたのが北谷高バスケ部の恩師、安里幸男監督(当時)だった。「遠くに見える光の手前で先生の声がして目が覚めた」。恩師の声が下地を死の淵から呼び戻した。

 その後は必死のリハビリを続け、医師も驚く復活を遂げた。現役引退後はOSGフェニックス、日本代表のアシスタントコーチを経て、新潟アルビレックスBBの育成コーチとなった。「昔から教えるのが好きで、特に育成は自分に合っていた」と語る通り、新潟で教えた小菅直人(キングス)や寺下太基(NBL和歌山)は、現在も各チームの核となっている。

 2011年途中でHCに就任した富山では、下位に低迷していたチームをわずか1年で自力でのプレーオフ進出に導いた。病気を理由に翌年チームを離れたが、富山はその後、東の首位に輝き、初のファイナルズ進出を果たすなど、育成・再生において数々の実績を残してきた。そして2年ぶりに指揮を振るうのは昨季わずか5勝しかしていない埼玉。

 「僕は強いチームでやりたくない。困っているチームを改革し強くしたい」。40歳までに優勝という目標を掲げる下地新HC。数々の困難を乗り越えてきたからこそ発揮できる「再生力」で今、埼玉を変えようとしている。

 ■しもじ・かずあき 1976年、那覇市生まれ。東風平中2年で全中オールスター沖縄選抜に抜てきされ全国優勝。北谷高卒業後は中央大に進学。大学3年の時にマルファン症候群を発症。卒業後はOSGフェニックス(bj東三河フェニックスの前身)のプレーヤーになるが、2シーズンで引退。指導者の道へ。

 2003年日本代表アシスタントコーチ、06~09年新潟アルビレックスBBアシスタントコーチ、11~12年富山グラウジーズHCを経て、14年埼玉ブロンコスのHCに就任。