負担軽減とは名ばかりで、海兵隊の撤退論が浮上するたびにそれにブレーキをかけ、引き留めてきたのは日本政府である。

 駐日米大使として米軍普天間飛行場の返還交渉に当たったウォルター・モンデール氏が2004年4月、国務省付属機関のインタビューに答えた口述記録の内容が明らかになった。

 1995年、米兵による少女暴行事件をきっかけに燃え広がった復帰後最大規模の抗議行動は、日米同盟を激しく揺さぶり、米国内からも海兵隊撤退論が噴出した。

 ペリー米国防長官は議会で「日本のあらゆる提案を検討する用意がある」と発言。ジョセフ・ナイ国防次官補は「日本政府が望むなら部隊を本土へ移転することにも応じる」と柔軟な姿勢を示した。

 「県民の怒りは当然で、私も共有していた」とモンデール氏が語っているように、日本側にとっては、過重負担に苦しむ沖縄の声を米側にぶつけ、目に見える負担軽減を進める絶好の機会であった。

 だが、「彼ら(日本政府)は、われわれ(在沖海兵隊)を沖縄から追い出したくなかった」と、モンデール氏は当時を振り返る。

 この時だけではない。復帰直後の72年10月、米国防総省が沖縄を含む海兵隊の太平洋地域からの撤退を検討していたことがオーストラリア外務省の公文書で明らかになっている。

 その時にも日本政府は、海兵隊の駐留維持を米側に強く求め、その通りの結果になった。

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 「米国政府はこれまで何度も海兵隊の沖縄からの撤退を考えてきたが、そのたびにそれを日本政府が引き留めようとするという歴史が繰り返されてきた」と沖国大の野添文彬講師は指摘する(13日付本紙2面)。

 本土のキャンプ岐阜やキャンプ富士に駐留していた米海兵隊が沖縄に移駐してきたのは56年のことだ。当時、沖縄からは「なぜ広大な日本から土地の狭い沖縄に移駐してくるのか理解に苦しむ」との抗議の声が上がったが、聞き入れられなかった。

 61年6月の池田・ケネディ会談を受けて来島した米国のケイセン調査団は、沖縄現地で調査したあと、こんな報告書をまとめている。

 「日本政府は、その安全保障に寄与し、しかも米軍基地を国内に置くことから生じうる政治問題を避けることができるという理由から、沖縄の米軍基地を歓迎している」

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 海兵隊は沖縄でなければならないのか。そんなことはない。

 「軍事的には日本国内であればよい。政治的にできないから官僚が道をふさいでいるだけ」だと、防衛大臣を経験した森本敏氏は指摘する(2010年6月、沖縄でのシンポジウムで)。

 米ブルッキングス研究所のマイケル・オハンロン氏も12年10月、米ワシントンで開かれた沖縄県主催のシンポジウムで「辺野古計画の取り消し」を提案している。

 辺野古は決して唯一の選択肢ではない。