「警察による過度な力の行使は許されない。信頼関係の再構築が先だ」-。オバマ大統領は、過剰武装で市民を「制圧」するセントルイス郡警察をそう厳しく批判した。

 8月上旬、米ミズーリ州ファーガソンで白人の警察官が丸腰の18歳の黒人青年を射殺した事件をめぐり、米国で「警察の軍隊化」が議論を呼んだ。

 ファーガソンは決して戦場ではないが、まるで戦地の兵士のように重装備した警官らが軍用装甲車で出動し、非武装の市民にライフルの銃口を向け、催涙ガスを使い、取材する記者らも逮捕して報道を規制した。

 こうした警察の過剰武装についてニューズウィーク誌は、市民の安全を守るのが任務の警官が、市民を標的にする姿を「占領軍のように振る舞っている」と強く非難。ロイター通信は、国防総省が1990年代から全米約8千の警察組織に軍の余剰品を供給した結果、警察の過剰な軍事化を招いたと分析した。

 ニューヨーク・タイムズは、2001年の同時多発テロ後、警察の重装備傾向に拍車が掛かり、米議会が国防総省の余剰軍備品を警察に供与するシステムを法制化したのを受け、06年以降の全米の警察による調達総額は、装甲車約400台、機関銃約9万丁など、約43億ドル(約4400億円)に達したと報じた。

 こうした警察の軍隊化は、軍産複合体が国家の社会政策に影響力を及ぼすほどに肥大化し、民主主義が危機に陥っている状態を知らせている。

 「テロとの戦い」の名の下、アメリカで「安全」のために真っ先に犠牲となったのは「人権」だった。

 新基地建設の準備が進む辺野古沖でも、海保の過剰警備が議論を呼んでいる。民主主義の国であるはずのアメリカで過剰武装、日本で過剰警備する権力が、市民を抑圧する事態が同時期に起きているのはなぜなのか。

 ファーガソンと辺野古で起きていることは、まったく無関係ではない。そこを私たちはしっかり認識しておく必要がある。(平安名純代・米国特約記者)