【宜野湾】琉球王国時代の1737年から50年にかけて、検地(土地測量)の際に基準点として設置された印部石(しるびいし)が今年3月、米軍普天間飛行場内で見つかった。印部石を置く土手も、ほぼそのままの状態で残っている。同飛行場内から出たのは初めてで、宜野湾市教育委員会文化課は「戦後も手つかずで、原形を保っていたのではないか」と話している。同飛行場内の文化財調査で発見した。

右端に地名を示す「そけろ」、中央に順序を示す「う」の文字が確認できる=3月、米軍普天間飛行場(宜野湾市教育委員会提供)

 場所は市赤道の宜野湾中学校グラウンドの裏手の基地内。赤道シキローと呼ばれる谷間で、周辺は墓地や畑の跡が確認されている。

 印部石には「曽けろ」と表記されており、「曽」はくずし文字で平仮名の「そ」に近い。現在の小字名の「総喜路原(すきろばる)」を指しているとみられる。中央には順序を示す「いろはに…」の「う」が記されている。

 土手の周辺は、崩壊を防ぐ石で囲まれている。印部石は高さ30センチ幅20センチ、土手は直径1メートルほど。

 印部石は首里王府によって設置され、これまで200基超が発見されているが、土手とともに見つかるケースは少ないという。

 市内で土手とともに見つかったのは、市指定文化財となっている市喜友名の「伊佐『たけたう原』銘の印部土手」に続き2例目。市教委は「印部石は当時の測量技術や、地名を知ることができ興味深い」と話している。(大城大輔)