英国からの独立の賛否を問うスコットランドの住民投票は18日(日本時間19日)、投開票され、反対多数で独立は否決された。

 これによって英政府は、分裂による経済混乱を回避し、イングランド、ウェールズ、北アイルランド、スコットランドの四つの地域で構成する「連合王国」を維持したことになる。

 住民投票は、英政府とスコットランド行政府の合意に基づいて、妨害行動や暴力沙汰もなく粛々と実施された。

 一連の経過そのものが、分離・独立をめぐる常識を覆すような「民主的」なものだった。スコットランド方式は、成熟した民主主義国家における民意の力の大きさを世界に強く印象づけた、といえる。

 翻って日本ではどうか。

 国会で独立論議に一石を投じたのは沖縄選出の上原康助議員(当時)である。1997年2月、衆院予算委員会で上原議員は「もし沖縄が独立をするという場合、どういう法的措置が必要なのか」と政府の見解をただした。

 大森政輔内閣法制局長官は、現行憲法にはその規定がなく不可能、との見解を明らかにし、議論はそれ以上深まらなかった。

 しかし、普天間問題をめぐって沖縄の民意は、しばしば裏切られてきた。独立には批判的でも「政府のやり方には我慢できない」と政府不信を訴える県民が増えている。

 自立・自己決定権を求める動きは、政治的主張にとどまらず、文化的な自己確認の運動としても、従来の保守・革新の枠を超えて広がりつつある。

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 沖縄の戦後史は、米軍統治の下で、政治的・経済的・精神的な自立を求めて悪戦苦闘した歴史だった。

 戦後、日本が戦争に敗れ、米軍が沖縄を軍事占領したため、沖縄の人々の選挙権は停止された。沖縄選出議員のいない国会で新憲法が制定され、沖縄選出議員のいない国会で沖縄の分離を盛り込んだサンフランシスコ講和条約が批准されたのである。

 自分たちの運命を決定づける重要な場面で、沖縄の人たちは、自己決定権を行使することができなかった。

 復帰後も、基地維持優先政策と安保・地位協定の壁にさえぎられ、自分たちの住む地域の将来を自分たちで決めることができない状態が続いている。米軍普天間飛行場の辺野古移設計画がその典型だ。

 変化しつつあるのは、県民の中から、かつての「居酒屋独立論」の時代とは異なる、地に足のついた自立への取り組みが見られることだ。

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 今回、独立賛成派が当初の予想を上回る追い上げを示したのは、英政府がスコットランド世論を無視してきたとの不信感があったから、だという。

 スコットランドの経験を受けて、沖縄でも独立論議が高まりそうだ。しかし、政府にとってのほんとうの危機は、独立論議の高まりではない。 ほんとうの危機とは、沖縄県民の中に政府への不信感がどうしようもないほどに根付き、広がることである。その兆候は表れ始めている。