1972年9月23日、那覇市の国際通りは、10万人の県民であふれかえっていた。本土復帰直後の沖縄で、初めて実施された歩行者天国だった。

大勢の県民でにぎわった県内初の歩行者天国=那覇市・国際通り(1972年9月23日撮影)

警察官だった1972年の歩行者天国の導入について振り返る浦崎政克さん=那覇市久茂地

県民でごった返す国際通りの歩行者天国を撮影した写真家の山田實さん=那覇市久米

大勢の県民でにぎわった県内初の歩行者天国=那覇市・国際通り(1972年9月23日撮影) 警察官だった1972年の歩行者天国の導入について振り返る浦崎政克さん=那覇市久茂地 県民でごった返す国際通りの歩行者天国を撮影した写真家の山田實さん=那覇市久米

 「とにかくすごい人。子どもたちがチョークで道いっぱいに絵を描いていた」

 国際通りの土産品店「守礼堂」社長の浦崎政克さん(84)は当時、那覇署交通課に勤務する警察官で、歩行者天国の企画に関わった。

 復帰時の県内の保有車両数は15万台超。経済発展を支える一方で、交通渋滞が社会問題となっていた。イベントを通じた、交通安全の呼び掛けが目的だったという。「『車を閉め出して、人間を解放しよう』と盛り上がった。交通整理はデモ行進で慣れていたので、それほどまで大変ではなかった」と振り返る。

 浦崎さんは当日、子どもを対象にした自転車安全教室を担当した。

 79年に県警を退職。その後は那覇市国際通り商店街振興組合連合会の理事長に就くなど、通りの発展のために奔走した。海外視察などで構想を練ったトランジットマイルを2007年に本格導入。今では毎週日曜日の慣例行事となった。

 交通事情の改善が狙いだった復帰時と、通りの活性化を図る現在のトランジット-。目的は違うが、浦崎さんは「人が中心となって楽しめる通りを目指してきたことは変わらない」と話す。浦崎さんにとって歩行者天国の経験は、まちづくりの原点となっている。

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 写真家の山田實さん(95)は当時、牧志の国際通り沿いで写真機店を経営していた。歩行者天国の人波に向けて、むつみ橋付近でシャッターを切った。

 「車社会でいつも渋滞していた国際通りが、その日は天国になった。道行く人は自由に歩けるから『バンザイ』と喜んでいたよ」。久茂地から安里まで、数珠つなぎの人の波が印象に残っている。

 戦後、市場やデパート、劇場がそろう国際通りは、県民の生活道路と同時に娯楽の拠点だったが、時の流れとともに地元客向け店舗の廃業が相次いだ。周辺では沖縄山形屋、ダイナハに次ぎ、21日には老舗の沖縄三越が閉店する。

 1972年から6年間、三越内にカメラコーナーを構えたこともある山田さん。「また沖縄の歴史が消えるわけだね、寂しいね」。ファインダー越しに見つめてきた時代が一つの終幕を迎え、感慨深げにつぶやいた。(湧田ちひろ)