少し値段は高いが洗練された商品がそろっていた。白地に赤の包装紙は強いブランド力を放ち、店員の丁寧な対応と相まって満足度を高めた。買い物だけではない。屋上に設置された遊園地は子どもたちのあこがれの場所。一時期、映画館も併設され、にぎわいを見せた。

 国際通りの中心にあって「那覇の顔」として親しまれてきた沖縄三越がきょう閉店する。1957年の創業以来、地域とともに歩んできた百貨店が消えるのは寂しい。

 苦境にあえぐ全国の百貨店同様、リーマンショックやデフレという厳しい環境下で、郊外型ショッピングセンターや衣料専門店に客を奪われ、閉店を余儀なくされた。本体である三越伊勢丹の強い意向に独自性が発揮できなかったことも影響したという。

 「何でもそろう」が百貨店のセールスポイントだったが、交通アクセスがよく一日中遊べて「何でもそろう」郊外の大型ショッピングセンターに取って代わられた。

 沖縄三越では最終日までセールが開かれていて大盛況だ。懐かしさに浸る客を送り出した後で、従業員たちの就職活動は本格化する。

 本店で働く約600人のうち約4割の再就職先がまだ決まっていない。常勤での就職希望がほとんどなのに対し、求人の多くは労働時間の短いパートという現実がある。

 再就職を支援する沖縄労働局はもちろん、三越も企業としての責任を果たし、行政と連携しながら雇用の確保に全力を挙げてほしい。

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 沖縄三越はかつての県経済四天王の一人、大城鎌吉さんが創業した大越百貨店に始まる。

 戦後の那覇市は、神里原から平和通りに商店街ができ、三越を中心に都市が形成された。もともと三越一帯は大城さんの土地で、戦後間もなく県民に娯楽を提供しようと映画館「大宝館」を建てるなど街づくりを引っ張ってきた。

 現在の国際通りや平和通りを歩いて「観光客向けの商店街になっている」と感じる県民は多い。那覇市民意識調査でも、半数が国際通りやマチグヮーには、ほとんど行かないと答えている。

 中心市街地が空洞化していく中、商店街は「観光客」という新たな客層を獲得することで踏ん張った。観光客で活気を保ちながらも、同じような商品を扱う店が並び過当競争を招いている側面もある。

 周辺の通りを持続可能な商店街として発展させていくには新たな仕掛けが必要だ。

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 国際通りのランドマークだった百貨店の跡地でこれから始まる事業は、未来の街づくりに大きな影響を与える。

 三越跡ではリウボウホールディングスが中心となって、吉本興業が運営する劇場など観光エンターテインメント事業が計画されている。全国の特産品を販売する店も入居する予定だ。

 街の魅力をつくりだすのはそこに住む人たちの息遣いやエネルギーである。県民に愛されなければ、観光客が求める沖縄らしさも失われる。地元も観光客も楽しめる街が、新しい都市形成の鍵となる。