【うるま】山原船の技法を取り入れた数少ない木造船で、1972年ごろまでうるま市屋慶名から宮城島などへの渡し船として活躍した「隆福丸」が、船大工で市無形民俗文化財指定の越来治喜さん(60)によって復元され、20日、海の駅あやはし館の広場でお披露目された。船にゆかりのある与那城東屋慶名出身の人気バンドHYのメンバーや子どもたちが、船に名前を書き入れ、人々の生活を支え続けた船に思いをはせた。

船大工の越来治喜さん(右)によって復元された木造船の隆福丸(奥)。新里英之さん(左)が、祖父が船を所有していた時の思い出を語った

隆福丸にペンキで名前を書き入れる子どもたち=うるま市・海の駅あやはし館イベント広場

船大工の越来治喜さん(右)によって復元された木造船の隆福丸(奥)。新里英之さん(左)が、祖父が船を所有していた時の思い出を語った 隆福丸にペンキで名前を書き入れる子どもたち=うるま市・海の駅あやはし館イベント広場

 隆福丸は、海中道路の完成で渡し船の役割を終え、その後は遊漁船として活躍し、2009年に惜しまれつつ陸揚げ。当時、現存する木造船は沖縄県内に3隻だったという。

 船はHYのボーカル新里英之さんの祖父、健さんが所有していた。新里さんが祖父を思い作詞作曲した「隆福丸」は、ファンの間でも人気だ。

 陸揚げ後、12年まで海の駅の敷地内に展示。多くの人が見学に訪れたが、老朽化が激しく、市の事業で同年10月から復元作業に入り、元の船は解体された。

 お披露目式では、HYメンバーと越来さんによるトークショーもあった。実際に、健さんと船に乗って遊んだこともある新里さんは「木造船を造るには技術と時間が必要だった。歌を歌い続けて隆福丸を知ってもらい、子どもたちに、実際に隆福丸を見て歴史を感じてもらいたい」と話した。

 越来さんは「この船は離島との間を最低でも1日2往復していた。人々を多く運ぶために改造を重ね、引退時は当初より広くなっていた」と指摘。本来、全長12メートルだが、今回は半分の6メートルで切断したような形にして、子どもたちが簡単に乗り込めるようにした。越来さんは「自由に遊んで、船に触れてほしい」と話した。

 演奏も披露した与那城小学校金管バンド部の田場若渚(にいな)さん(11)は「船はとても大きくて、HYの曲の隆福丸とイメージがぴったりだった」とうれしそうだった。HYも3曲を披露し、隆福丸の復元に花を添えた。

 今後は、本年度内に市立海の文化資料館に展示し、船大工の継承や、子どもたちの教育に生かしたい考え。