疎開先の広島県・因島(いんのしま)で1945年、空襲に遭い亡くなった沖縄県出身の「仲宗根さん」母子6人について、隣に住んでいた青木忠さん(69)=尾道市=が調べている。当時0歳の青木さん自身も生き埋めになり、仮死状態から蘇生した。「他人とは思えない。一家の実像を知ることが慰霊になるのではないか」。手掛かりを求めて10月に来県する。(阿部岳)

空襲で仲宗根さん一家6人が亡くなった家の跡地で黙とうする住民ら=7月28日、広島県尾道市因島三庄町(せとうちタイムズ提供)

 地域紙「せとうちタイムズ」記者の青木さんは、12年前から因島空襲の調査を始めた。島にあった日立造船の工場が標的になり、青木さんの実家は100メートルも離れていなかった。45年7月28日の空襲で、一帯の住民15人が亡くなったことを確認した。

 このうち9人は地元出身で、身元や下の名前が分からないのは仲宗根さん一家6人だけ。証言を集め、(1)母と息子3人、娘2人が亡くなった(2)一番上が国民学校4年の女の子だった(3)沖縄から大阪に疎開した後、おばあさんを頼って因島に来た(4)残されたおばあさんは「半狂乱」になって歩いていた-ことまでは分かった。

 青木さんは今年の空襲の日、仲宗根さん一家が住んでいた家の跡地で初めて追悼行事を開いた。住民や行政、議会の代表30人が参加する中、「無念だったでしょうね。沖縄が危なくなり大阪に疎開し、さらに因島で空襲の犠牲になってしまいました」と追悼の言葉を述べた。

 「隣のお兄ちゃんお姉ちゃんが亡くなり、たぶん会っていただろう赤ん坊の私は生き延びた。なんとか調べて、私の人生の総決算にしたい」と語る青木さん。10月27~30日に来県し、手掛かりを探す。

 空襲から70年になる来年はさらに大規模な追悼行事を準備していて、その場で調査結果を報告したいと願っている。