明治期の大知識人として知られる新渡戸稲造は『武士道』という本の中で、「寛容」「剛毅」「勇気」「同情」「仁」「礼」といった徳の大切さを説いている。新渡戸が現代日本の言論状況を見たら、どんな感想を持つだろうか。

 「慰安婦」問題の報道にかかわった元朝日新聞記者と家族に対し、恐怖心を植え付けるような脅迫や、度を超したいやがらせが相次いでいる。

 「慰安婦」報道に対する朝日の対応のまずさが読者の不信を招いたことは明らかであるが、一線を踏み外した脅迫や人権侵害がまかり通るようでは、言論の自由そのものが脅かされかねない。

 朝日新聞の元記者が非常勤講師を務める北星学園大(札幌市)には、5月と7月に「辞めさせなければ学生を痛めつける」などと書かれた脅迫文が届いた。「大学を爆破する」との脅迫電話もあったという。

 別の元朝日記者が教授を務めていた帝塚山学院大(大阪狭山市)にも9月、辞めさせなければ大学を爆破する、という趣旨の脅迫文が届いた。元記者は文章が届いたその日に、自ら申し出て退職した、という。

 脅迫まがいの過激な文言はネット上でも目立つ。北星学園大の非常勤講師の家族は、子どもの名前や写真などの個人情報がネットにさらされ、「自殺しろ」などと書かれたという。

 暴力や脅迫は、言論を萎縮させ、社会を息苦しくする。その兆候に社会全体で立ち向かわなければ、自由や人権は守れない。

    ■    ■

 ネット上にはんらんしている過激な文言が、雑誌にも散見されるようになった。本屋さんをのぞけば、「反日」「売国奴」「国賊」といったおぞましい言葉のオンパレードである。

 街頭デモなどで特定の集団に対して差別表現の限りを尽くすヘイトスピーチ(憎悪表現)も相変わらずだ。

 気になるのは、人権侵害を許さない立場にある山谷えり子・国家公安委員長(拉致問題担当相)の姿勢がいかにもあいまいなことである。

 山谷氏は2009年2月、ヘイトスピーチで知られる「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の幹部男性と一緒に写真に納まっていたことが、最近、明らかになった。

 9月25日、外国特派員協会で講演した山谷氏は、在特会の主張をどう思うか問われ、「一般論として、いろいろな組織についてコメントするというのは適切ではない」と言葉を濁した。

    ■    ■

 外国メディアの記者が、本来のテーマである拉致問題ではなく、在特会との関わりや民族差別について集中的に質問したのは、外国メディアの関心の在りかを端的に示しているといっていい。

 一部欧米メディアから「極右政権」と評される安倍政権の「右派体質」に、特派員が警戒の目を向けているのである。こういうときに大事なのは、安倍晋三首相が、脅迫や暴力、特定集団に対するヘイトスピーチを許さない確固としたメッセージを発することである。