米軍が沖縄本島を含む南西諸島を空から攻撃した「10・10空襲」から70年を迎えた10日、戦没者慰霊祭や、平和を考えるイベントが開かれた。那覇市出身の戦没者をまつる同市若狭の「なぐやけの碑」では、19回目の慰霊祭が開かれた。約160人の遺族らが参列し、犠牲者の冥福を祈った。主催した那覇市連合遺族会の大嶺正光会長は弔辞で「戦争を知らない次の世代へ戦争の愚かさ、命の尊さ、平和の尊厳を根気強く語り継ぎ、指針を示すことは私たちの責務」と語った。

沖縄戦の犠牲者を悼み、焼香する参列者=10日午後3時ごろ、那覇市・若狭海浜公園

 慰霊祭には10・10空襲の体験者も多く参加した。

 西原町から参加した古謝幸子さん(74)は空襲時、叔母におぶさり、那覇市泊の黄金森の坂を上って逃げた。記憶は断片的だが、小さな手で叔母の髪に付いた火の粉を払ったことや、遠くの海で船が燃えていたことを覚えている。

 那覇市から参加した知念秀子さん(88)。事務を務めていた上蔵町の大阪朝日新聞に出勤しようと首里の自宅を出た直後に空襲の知らせを受け、慌てて避難した。「那覇の街からいくつもの煙が上がり、怖かった」

 鳥堀町の壕に避難し助かったが、その後の地上戦では南部を母と二人でさまよった。次第に苦しい生活を余儀なくされていったあの時代を思い出すと涙が出る。

 あれから70年。古謝さんも知念さんも、「絶対に戦争は二度と起こしてはいけないよ」と強調する。

 若者の姿も見られた。那覇市の普久原裕子さん(29)は、悪天候で参加できなかった祖母、糸数芳子さん(89)の分の線香もささげた。家を出る前、10・10空襲の話を少しだけ聞いた。

 焼け残った家に家族で避難したことや、砲弾が父の体をかすめていった話-。

 これまで戦争の話をほとんどしなかった祖母が、3年ほど前から少しずつ語り始めたという。

 「私が大人になって戦争について考えられる年になり、祖母自身も自分の体験を残したいと思い始めたんでしょう」と推測する。

 祖母の話を聞いた裕子さん自身も考え方が変わった。「生存者の話を生で聞けるぎりぎりの世代。少しずつ勉強したい」