東日本大震災と東京電力福島第一原発事故、そして発生からもうすぐ2カ月を迎える熊本地震。人々の暮らしを一変させた地震によって苦難を強いられている被災地の現状や課題、今後の復興を、どう伝えていくのか。「当事者」の視点で報道する各新聞社の取り組みを通して考える。

軒並み家屋が崩壊した、益城町木山地区。現在でも避難生活が続く=熊本県益城町

災害報道に取り組む各新聞社のパネル討論。熊本日日新聞社の小多崇社会部次長(左から2人目)が熊本地震の現状を報告した=5月19日、福島市の「コラッセふくしま」

災害時の取材体制などについて考えた参加者たち=5月21日、鹿児島市・南日本新聞社

軒並み家屋が崩壊した、益城町木山地区。現在でも避難生活が続く=熊本県益城町 災害報道に取り組む各新聞社のパネル討論。熊本日日新聞社の小多崇社会部次長(左から2人目)が熊本地震の現状を報告した=5月19日、福島市の「コラッセふくしま」 災害時の取材体制などについて考えた参加者たち=5月21日、鹿児島市・南日本新聞社

<熊本日日新聞に見る報道現場>本紙記者、熊本地震を取材

 国内で例のない2度の震度7の激震が襲った熊本地震。沖縄タイムス社は被災した熊本日日新聞(熊日)を支援するため、社会部記者を2週間、現地に派遣した。熊日の内部取材から見た「災害と報道」の現場を紹介する。

◇  ◇

 「大規模地震のない県」をうたい、九州地区の防災拠点と位置付けられていた熊本県を、猛烈な揺れが襲った。4月14日の「前震」の発生後、熊日は朝刊、夕刊、号外を発刊。記者は不眠不休の取材活動を続けた。

 「益城町 震度7 2人死亡 けが200人超」(15日朝刊)

 「9人死亡 860人負傷 避難4万人超」(15日号外)

 「9人死亡 860人負傷 救助続く」(15日夕刊)

 甚大な被害を伝えようと、新聞を刷る輪転機は休みなく稼働。前震から28時間後、取材も一息ついた16日午前1時25分、さらに強烈な「本震」が熊本を襲った。熊日本社内の輪転機は16日朝刊紙面の3分の1を刷ったところで4機の輪転機が全停止。新聞社にとって最大の事故「発行不能」の事態に直面する。

 丸野真司編集局長は、印刷トラブルの際に提携社に印刷を委託する「災害協定」先の西日本新聞に「万が一の時は印刷をお願いするかもしれない」と連絡。一方で印刷担当者は必死に修復作業にあたり、午前4時過ぎ、輪転機1台が稼働。16日朝刊は何とか被災者の元に届けられた。

 再び現場にかり出された記者は拡大する被害の惨状を報告する。

 「阿蘇大橋崩壊」「熊本城やぐら崩壊」「南阿蘇村 大学生4人下敷き」…。

 編集局内のホワイトボードに県内各地の大規模被害が次々に書き込まれる。同時刻、社内ロビーには余震による家屋倒壊を恐れ、避難してきた社員家族であふれた。

 断水と停電で飲食が不足し多くの企業や店舗が営業停止状態に陥っても、新聞社は被災者に情報を届ける責務がある。女性社員が社員食堂の備蓄米で具なしのおにぎりを握り、それを腹の足しに取材先を回った。

 全国紙が各地から記者応援を投入する中、熊日は自社の記者だけで現場を奔走。倒壊家屋や土砂崩れ現場では徹夜の救助作業が続いた。

 「被害者が救出されるまで現場にいる」と報告してきた現場記者に「離れて休め」と指示した泉潤社会部長は「不眠不休で判断力が低下すれば事故に巻き込まれかねない。『他社は取材しているのに、現場を離れていいのか』と反発もあったが、絶対に犠牲者を出すわけにはいかなかった」と振り返る。

 取材を続ける中で痛感したのは「食料、水、ガソリン」の確保。本震後、流通のストップや買いだめで在庫がなくなった。政経部の金子秀聡部長は「被災者が1番知りたい情報も、どこに行けば水や食料が手に入るかだった。新聞報道も生活情報に力点を置くようになった」と話す。

 震災1週間が経過すると、熊本市内には水や食料は戻ったが、家屋の損壊ややまない余震で、社員や家族も不安な日々が続いた。

 丸野局長は「阿蘇山噴火の災害マニュアルはあったが、地震に対する事前対策はなかった。『地震のない県』との油断は大きな反省材料だ」と自省を込めた。(社会部・新崎哲史)

■「心の復興が大事」天野和彦氏、福島の今語る

 マスコミ倫理懇談会全国協議会は5月19、20の両日、全国の報道関係者らを対象にした「メディアと法」研究会を開いた。福島大学うつくしま未来支援センターの天野和彦特任准教授が、東日本大震災を踏まえた被災地支援の在り方について講演した。また、災害報道に取り組む各新聞社のパネル討論では、災害報道の在り方や復興の課題などを考えた。研究会に参加した内容を報告する。

 天野特任准教授は「福島のその後~東日本大震災からの復興支援活動を通して見えてきたもの~」と題して講演。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から5年が経過した福島の現状について「先が見えない状況は、変わっていない」と説明した。

 原発事故による除染状況については「除染したら故郷に戻れる、という単純な問題ではない。除染作業で働く人の半分は福島県民、避難生活を続ける人も多い」などと指摘。

 原発事故で福島県民に分断と対立が生まれている状況に触れた上で「福島の人々の心の復興、人間の復興が大事。県民がバラバラになると誰が得するのか。連帯すれば誰が損をするのか」と強く問いかけた。

 また、震災関連死や仮設住宅での孤独死などの問題は「人権の問題」と強調した上で、解決のために「交流の場の提供と自治活動の促進で被災者間のつながりを醸成する。生きがいと居場所をつくり、1人でため息をつかせてはいけない」と訴えた。

■地方紙同士の連携も

 災害報道に取り組む各新聞社のパネル討論では、熊本日日新聞社の小多崇社会部次長を交え、「復興の現状と課題」「メディアの役割」などをテーマに意見交換した。

 同社の小多さんは、熊本地震と報道について講話。東日本大震災後、東北の被災地への記者の派遣、震災報道や新聞社の取り組みなどの研修に参加してきたことを説明した上で「しかし、大地震が発生する可能性を3年前に報じながら掘り下げた取材を続けていなかった。『防災』に対する本気度が足りなかった」などと反省点を挙げた。

 また被災者や避難所など取材される側への配慮、災害時の取材記者の安全をどう守るか-などの課題を挙げた。

 熊本地震後に福島民報が熊本と福島の絆を伝える「全面広告」を出したことや、沖縄タイムスが熊本日日新聞に取材応援として記者を派遣したことなど、災害時の地方紙同士の連携を紹介した。

 パネル討論では、福島民報社の五十嵐稔社会部長、福島民友新聞社の白坂俊和報道部主任、茨城新聞社の斎藤敦報道部長、河北新報社の松田博英報道部次長が復興の現状について報告。一地方の問題とはせず、全国にどう伝えていくのか、さまざまな課題を考えた。

 茨城新聞の斎藤さんは「東日本大震災と言えば、全国の報道でも東北3県とだけ伝えられ、そこに茨城が含まれない。茨城でも指定廃棄物の処理の問題、広い範囲での液状化の被害がある」と指摘した。

 福島民報の五十嵐さんは、東京電力福島第一原発事故に伴い、除染廃棄物の中間貯蔵施設建設に向け、用地交渉が難航している現状を解説。「最終処分場については将来、全国の自治体に関わってくる問題。多くの人に関心を持ってほしい」と呼び掛けた。(社会部・吉川毅)

■災害時 新聞のあり方考える 新聞労連青年女性部

 新聞労連青年女性部による全国学習会「災害と新聞社~働く人を守る、紙面を守る~」が5月21、22日、鹿児島市の南日本新聞社で開かれた。全国から新聞社約25社、記者ら70人以上が参加し、災害時の報道体制や新聞配送のあり方などについて意見交換した。

 東日本大震災を経験した茨城新聞と、御嶽山の噴火を取材した信濃毎日新聞、口永良部島の噴火を取材した南日本新聞の記者らが体験を報告した。

 茨城新聞の発表者は、自社の印刷センターが被災したため、災害時連携を結んでいる全国紙の新聞社の東京印刷センターで印刷して運んだことなどを紹介。販売店から各家庭への配達でも必要なガソリンが不足したことが「一番の苦労だった」と述べた。

 参加した新聞社のほとんどは独自の災害対応マニュアルを策定しており、災害時に社員の安否や出勤可否を確認するシステム構築や会社の運営体制を定めるだけでなく、災害取材の役割分担を決めている社もあった。

 21日の研修中、南日本新聞社から鹿児島湾を挟んで東側にある桜島が噴火。桜島ではことしに入って噴煙が1千メートル以上あがる噴火が145回(22日時点)確認されており、南日本新聞社では1分おきに桜島を撮影するライブカメラを24時間体制で稼働させている。

 22日は桜島ビジターセンターで、島と噴火の歴史などを学習。島の小中学生は噴石を防ぐための通学用ヘルメットを持ち、民家や道路の等間隔に避難壕(ごう)を整備し、火山とともに暮らしている様子などが紹介された。(社会部・浦崎直己)