石垣市の小さな学校、富野小中学校は、亡くなった俳優の高倉健さんと「文通」していたことがある。高倉さんが、運動会を見かけたのがきっかけ。贈られた双眼鏡は、宝物だ。かつて県内で高倉さんの映画看板を描いた職人も、突然の死去を惜しんだ。

高倉健さんから贈られた双眼鏡を大切に使っている富野小中の生徒たち=18日(同校提供)

■差出人を見て「同姓同名だと」

 【石垣】高倉さんが富野小中を訪れたのは1999年。ちょうど開かれていた地域総出の運動会を遠巻きに見守った。お年寄りが縄をなって長さを競い、周囲が声援を送る風景に、「日本の誇れる運動会」と感激した高倉さん。ラジオ番組で紹介し、手紙と録音テープを同校に送った。

 当時校長だった鳩間真英さん(67)=石垣市=は「差出人を見て、同姓同名がいるんだね、と話していたら大俳優から。本当にびっくりしたし、感動した」。そこから、子どもたちがお礼の言葉のテープを贈り、双眼鏡を贈られ、校庭になったシークヮーサーを贈る、と交流が続いた。

 高倉さんは手紙で、「きれいな自然を見てほしいと双眼鏡を贈ったが、自分の目で見た方がいいのかな」といったことを、遠慮がちに書いていたという。大ファンになった鳩間さんは「シャイで人情味のある方だった。亡くなって大変さみしい」と話した。

 双眼鏡は今も、在校生17人がカンムリワシの観察などに使っている。高倉さんの訃報を聞き、学校のサイトで縁を紹介した宮良健教頭は「高倉さんとの交流は今でも語り草。思い出と品を大事にします」と語った。

■思い込めて描いた「網走番外地 南国の対決」

 高倉健さんと沖縄の縁は深い。健さんのスクリーンデビュー作は全編沖縄を舞台にした「電光空手打ち」(1956年)で、主役の空手青年を演じた。そして健さんの代表作「網走番外地」シリーズ第6作の「網走番外地 南国の対決」(66年)は、コザや守礼門でロケを行っている。

 「健さんのファンだったし、ロケ地は沖縄。喜びの思いも込めて看板を描いた」と振り返るのは、豊見城市の看板製作業、大城敏夫さん(73)だ。20代から映画館に掲げる映画看板を描き始め、「網走番外地 南国の対決」も手掛けた。

 映画全盛期に健さんや多くのスターを描いたことは、大城さんの強い思い出だ。「健さんと過ごした青春時代だった。身内が亡くなるのと同じくらい寂しい」と悲しんだ。