14日は衆院選の投開票日。この日は、最高裁判所の長官と裁判官を国民が審査できる唯一の日でもあります。しかし、国政選挙の陰に隠れてなかなかクローズアップされない国民審査とは、そもそもどのようなものなのでしょうか。憲法学者で首都大学東京の木村草太准教授に解説してもらいました。(聞き手・タイムス+プラス編集部・與那覇里子、社会部・下地由実子)

木村 草太(きむら そうた)憲法学者、首都大学東京准教授

■国民審査とは?

 ―国民審査とはそもそもどんな審査なのでしょうか。

 最高裁の長官と裁判官は、内閣が指名または任命します。内閣が選んだ裁判官が適任者であったかどうかを、任命されてから最初の衆議院選挙時と、その後10年経過時の衆議院選挙時に、国民が審査するのが国民審査です。

 外国と比べてみても、比較的珍しい制度です。来歴的には、米国ミズーリ州の制度を参考にしたと言われています。米国は、各州に憲法があって、州最高裁判所もあります。ミズーリ州で、最高裁の裁判官の住民審査がなされていたのに倣ったようです。

 なぜ、国民審査が重要なのか。

 内閣が裁判官を選ぶということになると、内閣が自分の都合や政治的な信条に基づいて裁判官を選んでしまう可能性、危険が常にあります。ですから、内閣だけで選べる代わりに、内閣が選んだ後、裁判官の選定が本当にそれで良かったのかと、国民全体で審査をする、内閣の任命の確認をするということが重要な仕事なのです。

 ―国民審査の重要性の認知が広がらない現状はどうしてでしょうか。

 基本的には、争点になるような人物が審査にかけられるということがこれまでなかったからだと思います。つまりこれまでは、裁判所が政治権力とは独立に自分たちで最高裁判事にすべき人を選び、それを内閣が形式的に追認する形でずっと選ばれてきました。

 ですから、少なくとも、経歴から、「なぜ、この人が最高裁の判事なんだろう」という人物が任命された例は極めて少ないわけです。国民が強い関心を持たなくても良い形で、これまで裁判官の人事が運営されてきたということだと思います。

 ―今後、政治側の思惑があって人選するといったことがあった場合、どういった危険性が考えられますか。

 たとえば、政権が集団的自衛権を合憲と判断してくれる裁判官を選ぼうとしても、法律論的にはかなり無理がありますから、法律家の間で信頼されているような優秀な人物はまず、合憲とは言ってくれません。

 もしも、集団的自衛権を合憲と言ってくれそうな裁判官を選ぶことになると、これは相当、不自然な人を選ばないといけなくなる。誰が見ても有名ではない法学者とか、裁判官の勤務経験がちょっとしかない人を持ってこないと無理だと思います。

 そういう無理な人選が行われると、最高裁が憲法をねじまげた解釈をしてしまう。政府が憲法に反する活動をしても、裁判所がそれをとめることができなくなる。そういった危険性があるということです。

 私がみるところは、国民審査はこれまできちんと機能してきたと思います。罷免された人がいないのは、単純に裁判官としてそれなりに優秀な人であった、ということだと思います。

 万が一、今後、裁判官の人事権に政府が手を付けるようなことがあれば、非常に危険なことですね。

■国民審査の与える影響

 ―国民審査の効果や影響を(1)裁判官(2)国民(3)任命した内閣(4)立法府の国会―それぞれ教えてください。

(1)裁判官

 裁判官にとっては、非常に重要な話であります。不信任が多かったということになれば、裁判官自身が反省をするということにもちろんなると思います。

 実際、過去の例をみますと、昔、思想犯担当の検察官だったような人物が最高裁の裁判官に任命されたことがあるんですね。もちろん、戦後です。

 要するに、治安維持法の取り締まりなんかに関わった思想犯専門の検察官だった人が最高裁判事に任命された時には、不信任が割と多かったと言われています。 やはり、当人としては、辞めさせられるまではしなかったけれども、自分の経歴が注意深く見られているということが分かるわけです。その裁判官は、最高裁判事として特におかしな判決を書いたということはそれほどないんですけれども、おそらくご本人の中では、その審査の効果を受け止める気持ちがそれなりにあったのではないかと推測されます。

(2)国民

 審査の結果は公表されますから、なぜか一人だけバツが多いということになったりすると、国民はそこに何か理由があるのかなという風に思うのではないかと思います。先ほどの例でも、おそらくそういう経歴があったということを知っていた人はそんなにいなかったと思うんですけれども、バツが多かったということで、改めてそういう事情があったのかという認識を国民が持つきっかけになったという面もあると思います。

 それは、バツを付けなかった国民が、その裁判官がどんな人物か知らなかった人にも、その人が裁判官に就いているということを知るきっかけになったということです。

(3)内閣

 内閣は、裁判所側が示してきた名簿、人選を追認するという形でやっていますので、独立を保った形で選んでいる訳ですけれども、内閣がもしも口を出そう、本格的に介入していこうとした時に、国民が止めることができる制度になっています。内閣がこれまで慣行を尊重してきた理由の一つは、国民審査が控えているので、露骨なことをやってしまうと、罷免されてしまうという、制度上の原因はあったのかなという風に思います。

 仮に、最高裁の裁判官が罷免されてしまった場合、任命した内閣の責任は当然あると思います。そういう責任の追及を避けようとして、これまでの内閣も人選を避けてきたという面もあります。

(4)国会

 国会は、自分たちが選挙で選ばれているので、民主的正当性においては、仮に審査を受けるとしても、自分たちこそが民主主義の代表なんだという気持ちをお持ちでしょうし、それは正しいと思います。

 国会に対しては、どちらが民主的かというよりも、独立を保った裁判所を国民自らの手で維持しているという形で、変な法律を作った場合には、違憲と言われてしまう、そういう緊張感を作り出す制度になっていると思います。

■裁判官の審査のやり方

 ―裁判官の方の情報が、少ないように感じます。どのように審査したらいいでしょうか。

 まず、法律家としての経歴を見てほしいと思います。簡単に言うと、経歴を見て、嫌になるぐらいのエリートだなと思ったら、特に心配する必要は無いと思います。

 政治が自分に都合のいい人事をやろうとするときに出る最大の特徴は、法律家としてきちんとキャリアを積んでいない人を裁判官にするということなんですね。

 最高裁の判事になられる方はいろんな経歴がありますが、裁判官、弁護士、検察官のどこかでエリートコースを歩まれた方というのが一般的です。経歴を見て「あー立派ですね」と思えるようであれば、自律的な裁判所の判断を尊重して、内閣が任命しているということだと思います。

 逆にそうではない人物が紛れ込んでいた場合、なんでこういう経歴の人が入っているんだろうと思った時には、ちょっとその裁判官についての情報を調べてみるということが必要になるかと思います。

 国民審査の広報が配られていると思いますが、広報の最初に経歴が載っていて、関わった判決が載っていて、最後にコメントが載るという形です。

 経歴欄を見て、法律家としてずっとやってきたんだということが分かる場合がほとんどですから、情報としてはおそらく、それならそれでいいだろうと思ってしまう国民の方が多いのではないかと私は見ております。

 ―裁判所の役割の一つに、少数派の権利を守るということがあります。その少数派を守る裁判官の正当性を国民の多数の信任に基づくことに、危険性は無いのでしょうか。

 完全な選挙という形で選ぶ訳ではありません。基本的には、裁判官の任命は、内閣の責任でありまして、内閣と共に、慣行上は最高裁が行うということになっているわけですね。

 まず、それぞれの裁判官は、法律家として能力があるのか、また、きちんとした信条をお持ちなのかということは、かなり専門知識がないとできないことです。国民がゼロから選ぶということをするのが非常に難しい仕事です。ですから、まずは司法の内部で判断し、内閣がそれを確認をするという手続きが非常に重視されるわけです。

 ですので、国民審査というものに期待しているものは、完全にすべてを選ぶということではなくて、国民の目からみておかしい人を排除するということが重要だと思います。

 ですから、国民審査で信任されたというだけで、裁判官は正当性を得ている訳ではもちろんなくて、独立した裁判所が専門知識に基づいて選んだ人物であるということが、まずここが、正当性の出発点になると思います。

■○ではなく×を付ける理由

 ―国民審査はなぜ、×(バツ)しか有効にならないのでしょうか。

 国民に求められている国民審査の役割が、選挙とは違っていると理解されていないように思います。つまり、国会議員の選択というのは、まさにその議員の全人格を審査するということになる。これに対して、最高裁の判事については、司法の独立を守るためのきちんとした人選がされているかという、司法の独立が維持されているかを判断するのが、審査に臨む国民に求められている役割なんですね。

 積極的にまるをつけたいかということではなくて、積極的にバツを付けなくてはいけないという事情があるのかが問われている。そういう意味では、いまの形式になるのは、やむを得ない。合理性はあると私は思います。

 もちろん、罷免したい時にはバツを、なにも書かないと信任とみなしますと、きちんと説明しないといけないと思います。

 ―裁判官たちにとって、どのくらいバツをつけられると心理的な負担になってきますでしょうか。

 相場感としては、1割くらいだと思います。1割を超えるとかなり多く付いたなという印象を受けます。何らかの国民のメッセージだというふうに受け取る人が多いんじゃないかなと思いますね。

 ―国民が国民審査を使いこなすには、日頃からどういったことを知っておくことが必要でしょうか

 とてもシンプルに、最高裁の裁判に興味をもつことに尽きると思います。もちろん、どんな人が書いたのか、個別意見まで読むことも面白いのです。

 でも、最近の全体の傾向だけをみて、いやだから全部バツつけても全然問題無いと思いますね。

 法廷というのは一つまとまって法廷です。個々の裁判官の個性をおかしいと思った時には、もちろん反対意見を書いた人がいるというのがあったとしても、他の裁判官を説得できなかったという点では、やはり全体の責任だと思います。

 なので、最高裁の判決にまずは興味を持つということ。それは個別の判決を読みこなすということではなくて、何かおかしいなと思ったら、その気持ちを忘れないでいることが非常に大事だと思います。