1月の名護市長選、11月の県知事選に続いてまたも、歴史的な選挙結果が示された。

 第47回衆院選が14日、投開票され、沖縄選挙区では、「ひやみかち・うまんちゅの会」の支援を受けた4人の候補が、翁長雄志知事を誕生させた余勢を駆って、県内4選挙区のすべてで自公候補などを破り、劇的な完全勝利を収めた。

 米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する沖縄のマグマは、衆院選でも噴火し、溶岩流となって地上に流れ出したのである。

 自民前職の強固な支持基盤を崩した1区の赤嶺政賢氏(共産)、準備期間ゼロの超短期決戦を強いられた4区の仲里利信氏(無所属)の当選は、この陣営の勢いが知事選だけの一過性のものでないことを物語っている。

 数の上で既成政党を上回る「支持政党なし」の無党派層が、沖縄の選挙で絶大な存在感を発揮し始めているのだ。

 この結果を踏まえ日米両政府は、辺野古の埋め立て工事を直ちに中止し、計画見直しに向けた話し合いに入るべきである。

 2010年の知事選で仲井真弘多氏が「県外移設」の公約を掲げて再選を果たしたとき、作家の大城立裕さんは、選挙後に一文を草し、こう指摘している。

 「日米安全保障のための基地なら、全国で共同責任をもつべきなのに、なぜ沖縄だけの負担なのか、という単純素朴な不平が消えないのである」

 大城さんは、住民意識の変化に注目する。

 「(沖縄は)『祖国』に絶望しかけている。民族の危機とはいえまいか」

 この不公平感と政府への不信感、「自分たちの未来を自分たちで決める」という自己決定権への渇望が、知事選に次ぐ衆院選での圧勝をもたらしたのである。

 この期に及んで民意を無視し、辺野古移設を強行するようなことがあれば、嘉手納基地を含む米軍基地の一大撤去運動が起こり、政府と沖縄の関係は、大城さんが指摘するような危機的状況に陥るだろう。

 全国的には、安倍晋三首相の不意打ち解散が功を奏し、自民・公明両党で法案の再可決が可能な317議席(定数の3分の2)を超えた。小選挙区、比例区とも自公が圧勝した選挙だっただけに余計、沖縄の選挙結果が際立つ。

 なぜ、全国と沖縄でこのような対照的な結果が生じたのか。

 降って湧いたような突然の解散・総選挙で野党は、与党候補に対抗する選挙協力体制を築くことができず、反自公の受け皿づくりに失敗した。比例区でも、離合集散を繰り返す第三極の頼りなさが有権者から忌避され、自民に多くの票が流れた。

 しかし、沖縄選挙区では、知事選に勝利した翁長陣営が「党派を超えて翁長新知事を国政から支えよう」と、短期間の間に候補者調整を進め、自公候補に対抗する受け皿づくりに成功した。辺野古移設という明確な争点が存在したことも結果を左右した。

 民主党が政権を奪い取った09年衆院選で、沖縄の自民党は四つの小選挙区の一つも取れなかった。

 「最低でも県外」を主張した鳩山由紀夫首相の誕生で沖縄の民意は急速に変わっていく。

 自民党が政権に返り咲いた12年の衆院選では、民主党分裂のあおりを受けて政党が乱立し、沖縄選挙区に計19人が立候補。自民候補は普天間飛行場の「県外移設」を公約に掲げ3勝1敗と善戦した。

 12年衆院選の当選者は、比例区で復活当選した候補を含め、保革合わせて計7人。当選後の座談会で自民党候補は「県外移設は県民の民意」「(知事は埋め立て申請を)拒否すべきだ」と、こもごも抱負を語ったものである。

 知事選で仲井真氏が約10万票の大差で敗れ、今回、衆院選の選挙区で自民候補がそろって敗れたのは、端的に言えば、公約を翻し、辺野古移設を認めたからだ。

 「辺野古ノー」の沖縄の民意は、政府が考えるよりもはるかに根強い。見たい現実だけを見て、沖縄の滔々(とうとう)たる世論に目をつぶることは、もはや許されない。