1995年に阪神大震災に遭った神戸市で被災者たちが口ずさんだ歌が、20年近い月日を経て、東日本大震災の被災地に伝わっている。当時詞を書いた女の子も、今歌い継いでいる女子学生も、奇縁にして那覇市首里の出身。千羽鶴に込めた祈りが切々としたメロディーに乗って、家族や家を失った人々の心に染み渡っている。(新里健)

岩手県大槌町の仮設集会所を訪れ、被災者を前に琉舞を紹介する又吉さん。この後に「つる」を歌った=ことし3月(稲垣暁さん提供)

 歌の名は「つる」。詞は95年度の城北小学校4年4組、山田かのこさんがつづった。山田さんのクラスは全員で被災地に向けて千羽鶴と文集を作り、地震から丸1年の96年1月17日、被害が大きかった神戸市長田区の真陽小に贈った。現地の人の共感を呼び、市内を慰問していた歌手の岡本光彰さんが曲を付けた。

 当時この歌を偶然聞いたのは稲垣暁さん(54)。仮設住宅を巡り、ボランティアをしていた最中だった。市内の祖父母宅が全壊し、自身も紙一重で生き延びただけに「こんなに願ってくれる小学生がいるんだ」と目が潤んだ。その後、妻の出身地の沖縄に移り、沖縄国際大学の特別研究員を務める傍ら、東日本大震災の被災者支援を続けている。

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 沖縄と神戸を結んだ歌を稲垣さんから教わった学生の一人が、沖国大2年の又吉麻菜美さん(20)。阪神大震災当時は0歳で、くしくも山田さんと同じ城北中学校の出身だ。ことし2度、甚大な津波被害を受けた岩手県大槌町の仮設住宅などを訪ね、三線を弾いて「つる」を歌った。

 初めて足を運んだ3月の聴衆は、被災したお年寄りの女性たち。みな無言のまま詞をかみしめるような面持ちで聴いていたが、又吉さんは歌い終えるとすぐにアンコールを求められ、一緒に口ずさんだ。その中の一人から「鶴を折ってくれた人の思いが初めて分かった」と感想をもらった。

 歌う先々で歌詞が欲しいと頼まれ、滞在中に和紙に書いて贈った。帰沖後も依頼は続いた。そして11月。再訪したどの仮設集会所にも、歌詞が貼られていた。再会したお年寄りたちと、今度は最初から合唱した。

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 又吉さんはことし、阪神大震災について学びたいと神戸市へも2度行った。復興住宅で、神戸大学の学生団体が住民と催すもちつき大会に参加。長年、活動が受け継がれていることに感銘を受けた。12月には20回目を迎えた光の祭典「神戸ルミナリエ」を訪れ、観光客やカップルでごった返す中、震災犠牲者の鎮魂という原点に思いをはせた。

 「先輩が作った詞のおかげで、東北の方々とつながれた。歌は色あせない。その時その人の願いが詰まっている」と又吉さん。来年1月17日は稲垣さんや他の学生と沖縄で、神戸市の琉球料理店に集う被災経験者たちとスカイプで対面し、一緒に「つる」を歌う。

 ■阪神大震災と歌 自宅が全壊した神戸市の音楽教諭が作詞作曲し、歌い継がれている「しあわせ運べるように」や、ロックバンドのソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕」など、被災地で生まれた歌は多い。尼崎市で震災に遭った県出身の三線奏者・川門正彦さんも「チバリヨー」を自作し、仮設住宅を巡って歌った。