【平安名純代・米国特約記者】本土復帰20周年で在沖米軍基地問題に関する議論が日米間で活発化していた1992年、米政府が基地をめぐる論争が長期駐留に与える影響を懸念し、統合計画の立案を強調してリスク回避する必要性を協議していたことが29日までに分かった。96年のSACO(日米特別行動委員会)合意や2006年の米軍再編に盛り込まれた在沖米軍基地の整理・縮小に連なる提言として注目されそうだ。

米国務省が92年に作成した機密指定の内部資料

 米国立公文書館が2000年3月に公開した機密文書(1992年7月作成)に記されており、29日までに本紙が入手した。

 同文書は、米国務省が日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)向けに作成した機密指定の内部資料。文書作成前年の91年には当時の大田昌秀知事が訪米し、キャンプ・ハンセン内に建設された都市型戦闘訓練施設の撤去を要請するなど、米軍施設の返還で議論が高まっていた。

 文書では「在沖米軍基地をめぐる政治論争が創造的な方法で提起されない場合、日本での長期駐留やわれわれの能力に著しい影響を与える可能性がある」と指摘。地元の反発が高まるのを警戒し、米軍の展開を長期的に維持するには「沖縄での摩擦」を減らす必要があると強調。解決策として「島の全施設を対象にした基地統合計画の開発」を挙げている。

 当時の状況について「米軍施設が島の20%を占める沖縄で、米軍基地問題は地元の大きな懸念」とし、冷戦終結後も沖縄の期待に反して軍事施設の削減にほとんど進展が見られないことから、不満が高まっていると分析し、日本政府の責任も指摘している。

 92年5月15日には東京で沖縄復帰20周年記念式典があり、文書では記念日に向け「関心は沖縄と土地問題に集中した」と指摘。式典に先立ち1月に訪米した渡辺美智雄外相(当時)がチェイニー国防長官(当時)に問題の解決を訴えたほか、式典に出席したクエール米副大統領(当時)が、恩納村の都市型訓練施設における訓練の中止と同施設の撤去を発表するなど、日米両政府のトップレベルが沖縄の基地問題を頻繁に協議する経緯も記述している。