この島々に鉄の暴風が吹き荒れたあの年から、今年で70年になる。人が生まれ意気盛んな青年期を経て古希を迎えるまでの歳月に、沖縄はすっかり変わった。

 激しい変化の波が今も、政治、経済、市民生活のあらゆる分野に奔流のように押し寄せている。日本社会が分水嶺(れい)を迎えているだけでなく、沖縄にとっても今年は将来を決定づける重要な年である。

 日本は現在、三つの深刻な「社会的亀裂」を抱え分断化が進んでいる、と佐々木毅東大名誉教授は指摘する(『潮』1月号)。一つは経済的な格差という亀裂。二つ目は世代間の亀裂。三つ目は都市と地方の亀裂である。

 佐々木さんは触れていないが、もう一つ大きな亀裂が横たわっているのを見逃すわけにはいかない。米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐる沖縄とヤマト(政府)の深刻な亀裂だ。

 昨年1月の名護市長選、11月の県知事選、12月の衆院選沖縄選挙区。いずれの選挙でも移設反対派が完全な勝利を収めた。民意の巨大なうねりは、戦後体験に根ざした現場での非暴力抵抗運動と連動して生じたものだ。そこが新しい点である。

 辺野古での座り込み行動は昨年4月で10年を迎えた。2007年7月から始まった東村高江の米軍ヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)建設工事に対する座り込み行動は今も続いている。

 13年9月にはオスプレイ配備に反対して市民が普天間飛行場の各ゲートを封鎖した。キャンプ・シュワブのゲート前での抗議行動は今や、国内外の注目を集める。

 米ウォール街でのオキュパイ運動、脱原発を求める国内デモ、香港の学生による民主化運動など、公共空間での抵抗運動が世界的な規模で広がっているが、沖縄の直接行動も世界的な同時代性を帯びた行動だというべきだろう。

 普天間のゲート封鎖で中心的な役割を果たしたのは退職後の高齢者だった。冷戦時代の組合主導の反戦運動とは異なる新たな質を備えた運動がつくり出され、そこから保革の枠を超えた県知事が生み出されたのである。

 「辺野古に新基地を造らせないことを県政運営の柱にしたい」。翁長雄志新知事は初の県議会できっぱりと所信を明らかにした。

 翁長知事は県知事選で、他の3候補の得票合計を上回る大量得票で当選している。公約実現に向け、知事が議会で不退転の決意を表明したのは当然のことである。

 問題解決のボールは政府に投げ返された。選挙結果を受けて政府は、まず埋め立て工事を中止し、計画見直しを前提に県との話し合いを始めるべきである。「沖縄に寄り添う」(安倍晋三首相)という言葉は、そういう意味ではないのか。

 政府は昨年暮れ、翁長知事が申し入れた安倍首相や菅義偉官房長官、外務・防衛閣僚との面談に応じなかった。鉄軌道導入計画の見直しや沖縄振興予算の大幅削減をちらつかせ、年明けから埋め立て工事を再開する構えさえみせた。選挙結果を無視した典型的な嫌がらせである。政府がこの方針を貫けば、沖縄との対立は抜き差しならない状態に陥る。端的に言って、新基地建設のために政府が牙をむいて県民に襲いかかってくる、という話だ。

 これは弁解の余地のない「沖縄差別」であり、代表制民主主義の否定である。 

 元琉大教授で保守県政の副知事も経験した比嘉幹郎氏は、沖縄の政治文化について「差別と犠牲の強要に対する反発」だと指摘する。

 戦後、沖縄は主権の空白状態に置かれた。復帰によって広大な米軍基地に日米地位協定が適用された結果、自分たちのことを自分たちで決めることさえできない「半主権状態」が今も続いている。

 国政にパイプを持たない翁長知事にとって、これからの県政運営は多事多難である。戦後70年の劈頭(へきとう)に立って、「平和と暮らしを守り抜く」という強力なメッセージを内外に発信し、自立に向けた姿勢を示してもらいたい。

 ブレーン集団や県外の専門家でつくる応援団の形成、国内外でのネットワークづくりが急務だ。