1997年11月、沖縄復帰25周年記念式典に出席した橋本龍太郎首相は、基地問題と振興策の関連を聞かれ「一緒にされると悲しい」と語った。米軍普天間飛行場移設に伴う海上ヘリ基地建設の是非を問う名護市民投票を翌月に控えた式典でのことだ。  

 政府の沖縄振興の原点は、沖縄戦による甚大な被害と27年の米軍統治を経験した県民への「特段の措置」である。「基地負担の代償」という側面が全くないわけではないが、沖縄の人たちに多大な負担を強いているという負い目から、リンク論が表立って語られることはなかった。

 基地受け入れの見返りとして振興策が前面にせり出すようになったのは普天間問題が浮上してからだ。皮肉にも振興予算が基地受け入れを迫る「懐柔策」としての性格を帯び始めたのは橋本首相と大田昌秀知事の時代である。

 97年には基地所在市町村への特別予算、いわゆる島田懇談会事業が始まり、2000年からは普天間の移設先とされる北部振興策が別枠で予算化されるようになった。

 07年に始まった米軍再編交付金は、米軍再編への協力度合いに応じて支払われるというもので、これまで以上に露骨な政策だった。

 政治家の口から「振興策は基地受け入れが前提」などの発言が平気で言い放たれるようになったのはそのころである。政府の沖縄振興策は次第に「安保維持装置」へと変容していった。

    ■    ■

 沖縄振興の原点を確認するにつけ、基地とリンクする政策への疑問が頭をもたげる。 島田懇事業や北部振興策では、必要性の議論もそこそこに予算が計上され「ハコモノ」ができ、施設が十分生かされないまま、自治体はその維持管理費に苦しんだ。

 米軍再編交付金では、再編計画に反対する首長の誕生で交付金が停止され、予定していた事業の実施に支障を来す事態もあった。住民ニーズとは別の次元で事業打ち切りが決まるのであれば、地方財政は混乱する。

 基地の見返りとして、競争にさらされない特別な予算が基地依存体質を強め、財政の不健全化を招くという問題が浮き彫りになっていく。 

 その結果、県民は昨年の名護市長選、県知事選、衆院選を通して、基地と振興策をリンクさせる手法に「ノー」を突きつけたのだ。

    ■    ■

 翁長雄志知事が辺野古への新基地建設に反対していることから、政府は来年度の沖縄振興予算を減額するという。

 沖縄振興の前提となる特殊事情の一つに米軍基地の集中があるが、それは既存基地の過重負担への配慮を言っているのであって、新基地建設を含むものではないはずだ。

 予算を減らすというのは脅し以外の何ものでもない。政府は何を根拠にどの部分を減らそうとしているのか、県民に説明する義務がある。

 県も特殊事情に照らし要求すべきは要求していく。しかし予算増額を条件にした基地受け入れは断固拒否する。その姿勢を明確にする時だ。