国土面積の0・6%に、在日米軍専用施設面積の74・4%が集中する沖縄では、米軍絡みの事件以外にも多くの負担がのしかかる。航空機の墜落、部品落下、昼夜を問わない騒音、山火事や環境汚染などだ。朝鮮半島や台湾海峡といった潜在的紛争地域に近い、と言われても不平等を感じざるを得ない状況だ。

住民らへの被害が出た主な米軍機事故

【航空機事故】墜落・落下物で32人犠牲

 沖縄戦以降、沖縄の空には間断なく米軍機が飛び交い、悲惨な事故を繰り返してきた。墜落や燃料タンクの落下などにより、戦後、少なくとも32人が犠牲になり、負傷者は230人を超える。県の統計がある1972年の本土復帰以降でも、パンクなどを含めた事故は600件を優に上回る。

 戦後、県内の米軍機事故で最も多くの犠牲者を出したのが、59年6月30日に起きた「宮森小学校戦闘機墜落事故」だ。白昼の小学校にF100戦闘機が突っ込み、児童や住民18人が死亡した。

 墜落だけでなく、米軍機からの落下物による被害も繰り返されてきた。50年8月2日、読谷村喜名の民家に米軍F80戦闘機から補助燃料タンクが落下。3歳の女児が命を失うという痛ましい事故が起きた。

 具志川村(当時)へのF100戦闘機墜落、読谷村でパラシュート投下のトレーラー落下…。米軍機は戦禍を生き延びた人々の命を無残に奪い続けた。

 「空からの恐怖」は戦後71年たった今も続く。2004年には沖縄国際大に米海兵隊のヘリが墜落した。「世界一危険な飛行場」といわれながら、危険性は除去されるどころか、ヘリはオスプレイに替わり、市街地上空を今も飛び続ける。

【航空機騒音】環境基準超えが常態化

 県民は、米軍機が昼夜関係なくまき散らす爆音にも苦しめられ続けてきた。

 県の測定では2014年度の騒音は、嘉手納基地周辺の北谷町砂辺で日平均64回と最多で、平均70デシベルと環境基準62デシベルを大きく上回る。

 住宅密集地や早朝、深夜を問わない離着陸から発生する爆音にさらされる市民は、日米両政府へ改善を求めてきた。

 日米両政府は、1996年に日米合同委員会で嘉手納基地と普天間飛行場の航空機騒音規制措置を決め、「午後10時~午前6時の飛行は必要な場合を除き制限する」「学校や病院、住宅密集地の上空を避ける」ことで合意した。

 だが、現状は米軍の運用が優先され、夜間・早朝や住宅地上空での飛行は常態化している。

 2014年度の午後10時~午前6時の騒音では嘉手納町の屋良B地区が月平均117回、屋良A地区が105回に上る。

 1996年の騒音規制措置の日米合意前後を比較しても、夜間・早朝の騒音発生件数は屋良A地区で月平均324回(95年)が一度は2007年に82回まで減ったものの、14年には143回と再び増加している。規制措置が形骸化している現状が浮かび上がる。

【山火事・流弾事故】復帰後588件 3795ヘクタール焼失

 米軍による訓練は、人命だけでなく沖縄の自然も破壊している。米軍は、名護市や宜野座村、恩納村、金武町にまたがるキャンプ・ハンセンやシュワブで日常的に実弾射撃演習を実施している。

 この実弾演習により、近隣の山ではたびたび火災が発生。復帰から2015年までの43年間で588件の火災が発生し、焼失面積は計3795ヘクタールに上る。ほぼ、金武町の面積と同じだ。今年も6月10日までに既に9件起きている。

 弾は、近くの集落や市民にも危害を与える。金武町の中でも射撃場に近い伊芸区では被害が多く、1956年以降、16件の流弾事件が確認されているという。

 56年には庭先で遊んでいた3歳の女児のももを流弾が直撃。64年9月には、小銃弾が民家の屋根を貫通して19歳の女性の大腿(だいたい)部(ぶ)に当たり重傷を負った。

 2005年、米軍はハンセン「レンジ4」の都市型戦闘訓練施設で実弾射撃訓練を開始した。1万人規模の反対集会が開かれたがその後も訓練は続き、08年には流弾とみられる弾が民家の車にめりこむなど、今もなお“実弾”におびえる日々が続く。