もう1カ月以上前に日本から遠く離れた場所(アリューシャン列島)で書いた以下の文章を寄稿するのは、読み返してみてもまだ賞味期限が切れていないなと思うからだ。この文が書かれたのは5月中旬から下旬にかけてである。いまの状況はもっと悪くなっている。

 日本から遠く離れた場所にいる。衛星電話以外に外部と交信する手段がない。インターネットもEメールもできない。四方は見渡す限り、海、海、海。カモメとアホウドリと、ごくたまにクジラやシャチ、イルカが遊びに来る以外に来訪者は全くない。

 そういう場所で、あまりにも卑小で、品格を欠き、国際社会で通用しがたい「管見」について述べることには抵抗感もあるが、最小限度のことは書きとめておこうと思う。

 橋下徹・大阪市長が戦時中の従軍慰安婦について必要性を認める発言をした。さらには、沖縄の在日米軍司令官に向かって「風俗業をもっと活用してはどうか」と発言した。米国務省や国防総省からすぐさま非難の声明が出るや、今度は開き直るかのように、戦時中に慰安婦制度をもっていたのは日本ばかりじゃない、なんで日本だけが非難されなきゃならないのか、という趣旨の反論をした揚句、沖縄で米軍兵士が女性に何をしたかを想起せよとの主旨の発言を付け加えた。

 正直、耳を疑うような思いがしたものだ(後日、米軍と風俗業云々については誤解を招いたとして撤回、謝罪したそうだ)。目の前でアホウドリが気持ちよさそうに飛んでいる。アホウドリは人間のように言葉を発しない。気高く見えさえする。あまりにも人間の方が愚かだから。

 戦争と性暴力の一体化は、戦争の本質に関わる。よい戦争も悪い戦争もない。戦争は敵を殺すことを目的とした集団的行為だ。

 戦争において兵士の戦意を保つために慰安婦が動員されていた歴史が世界各国にあることは悲しいけれども冷徹な事実だ。

 けれども、日本のように、国政の指導的な地位にある者たちが、それをまるでなかったかのように(英語でwhitewashという)言い続けている国は先進諸国のなかでは希有だ。