最近目の当たりにしたことがあるんです。解き放たれたような開放感で個性を出すことに喜びを感じた若者たちの変化を。

 私は、Ryukyufrogs(https://ryukyu-frogs.com/)という沖縄県内の若者たちを米国シリコンバレーに派遣する人材育成プログラムを5年間運営しています。現地に同行した際に、今まで沖縄(日本)という社会の中では個性を出すことに消極的だった「ヘン」(自分の世界観を持っていて、かなり個性的な、いわゆる「ヘン」)な若者が、多様な個性を認め求める地域に飛び出したことで、自分を積極的に発信し始める姿を多く見てきました。

 そして想像以上に好意的なフィードバックを、訪問先のGoogleやEvernote、Plug and Play Tech Centerなどのエンジニアやスタートアップのファウンダー、ベンチャーキャピタルから受けることで、沖縄の若者たちが自己肯定感を得て自信につながっていくという、キャリア形成上の好循環ループ現象を何度も目の当たりにしてきました。

 米国と沖縄(日本)と何が違うのでしょうか? 社会全体の価値観や教育方針などが違うのかもしれません。誤解を恐れずに言うと、今の日本は「横並び主義」や、「入り口文化」や、「○×主義」が常識として浸透していると感じます。

 戦後の高度成長期には、平均点以上の人材を大量に社会に放出する必要性があり、その時代はそのやり方がベターだったのでしょう。全教科平均点以上であることを推奨し、まずは良い学校、良い会社に入れ、という考えが定着します。良い学校に入るために勉強するのですが、学校を卒業した後の「出口プラン」はその時点では多くの若者にありません。なぜならそこまで真剣に人生を考えなくても、入学時さえ頑張っておけば卒業は大変じゃない、ということが分かっているからです。

 良い学校に入れば将来きっとなんとかなる、という神話でもあるのでしょう。みんなとある程度同じ人生を歩んでいれば、横並びでいれば、きっと間違いないという神話ですね。そして学校では○か×で正解を追い求める勉強を強いられて生きてきています。理数系ならまだしも、国語や歴史、社会系の勉強には答えは様々です。テストの回答が○か×かだけで生徒の力を判断し、評価することが、本当に自立した「未来人材」の育成になっているのでしょうか? 意見が49対51に分かれるような事象は社会に出ても多々あることで、極端な話、90対10でも、その時点での少数派が未来の常識や便利なサービスをつくることだってあり得るわけです。