台湾南部に漂着した宮古島住民ら54人が先住民族に殺害された1871年の「牡丹社(ぼたんしゃ)事件」で、「八重山台湾親善交流協会沖縄支部」(宮野照男支部長)のメンバーらは26日、那覇市波之上の「台湾遭害者の墓」前で、八重山の伝統的な奉納芸能を披露した。犠牲になったみ霊の冥福を祈り、台湾との親善交流を一層深めることを誓った。

牡丹社事件の犠牲者に「無蔵念仏節」をささげる八重山台湾親善交流協会沖縄支部のメンバー=26日午後、那覇市波之上

 メンバーは先月、台湾の屏東(へいとう)県を訪れ、犠牲者の首から下の遺骨が眠る「大日本琉球藩民五十四名墓」で奉納芸能を披露。那覇の「台湾遭害者の墓」にも頭蓋骨が眠っており、「沖縄で同じ演目を再現しなければ、前に進めない」(宮野支部長)との思いで、初めて今回の奉納芸能を企画したという。

 宮野支部長は「あまり知られていないが、牡丹社事件は日台関係の歴史の始まりだ。多くの人に事件のことを知ってほしい」とあいさつ。メンバーは犠牲者の無念に思いを寄せ、墓を守る台湾の人々への感謝を込めた「奉納トゥバラーマ」を歌った。台湾との交流の新たな門出を祝うため、「鷲ぬ鳥節」も舞った。「無蔵念仏節」を披露した勤王流八重山舞踊保存会の川井民枝会長(64)は「先月の台湾訪問を機に、事件を改めて理解した。現地では、舞踊家も歌い手も涙をこらえ演じていた」と振り返る。「犠牲者に『安心してお休みください』とただただ祈ります」と語った。

■「琉球処分につながった」又吉沖大客員教授

 台湾南部の屏東県牡丹郷に漂着した宮古島の住民ら54人が1871年、現地の先住民・パイワン族に殺害された「牡丹社事件」。首里王府への年貢を納めた帰りに宮古島の貢納船が遭難し、水死した3人を除く66人が助けを求めて牡丹郷に入ったが、言語や文化の違いから数々の誤解が生じ、悲劇が起きた。

 1974年から台湾の現地調査を続ける又吉盛清沖大客員教授は、奉納芸能を前に「明治政府は琉球の帰属問題の決着や台湾の植民地化の意図もあり、自然災害が原因の牡丹社事件を政治的に仕立て上げた」と解説。その後、1874年の「台湾出兵」や79年の「琉球処分」へとつながり、「東アジアの近代史上、重要な事件となった」と強調した。その上で「歴史を知った時から行動がはじまる。新しい平和の時代を築く、みなさんの活動に感謝したい」と意義を語った。