「沖縄人は東京からセカンドクラスとして扱われていることに不満を抱いている」―。
 この言葉はワシントンポスト紙(2016年6月17日電子版)に掲載されたグアム住民投票に関する記事に書かれている。グアムで今年11月にも実施される住民投票は、沖縄からの海兵隊移転に刺激され、一部で独立論を勢いづかせているという内容だ。中央政府からぞんざいに扱われ、軍事基地を押し付けられていることに対する反発心が沖縄とグアムに共通しているようだ。

グアムのアンダーセン空軍基地(2009年6月撮影)

 グアム大学で言語学を教えるマイケル・ホワン・ベバクワ氏は、「新たな基地建設がグアム人も米国市民であるというファサード(見せかけ)にひび割れを生じさせた」と分析する。沖縄からの海兵隊移転はワシントンの横暴だと批判的な別の識者は、「グアムのつくりは米国植民地であり、為政者は何でもできると考えている。そのことは島内を10分もドライブすれば気づくはずだ」と指摘している。

 グアムの立場を沖縄に置き換えて、識者のコメントを読み返すとぴたりと重なる。美しい辺野古沖を埋め立てるという中央政府の強引な手法に、沖縄の日本人意識は大きく傷つけられてきた。沖縄は日本ですか、という問いかけが沖縄人の心の底から染み出し、沖縄アイデンティティーを主張する翁長雄志知事の問いかけがウチナーンチュ(沖縄人)を揺さぶる。沖縄の外観が米軍占領の原型をとどめていることは、沖縄本島をドライブすればすぐに分かる。

■二等国民

 冒頭で、「沖縄はセカンドクラス」という刺激的なフレーズをあえてワシントンポスト紙の記事から抜き出した。「二等国民」という訳が適当かは分からないが、それが外国人記者の目に映る沖縄の実相であることを思い知らされるからだ。沖縄の日本人意識もまたファサードなのだろう。西銘順治元知事(1978年から3期12年)が朝日新聞のインタビューで、「沖縄の心とは」と問われ、「それはヤマトンチュー(大和人)になりたくて、なりきれない心だろう」と答えたのは名言だ。戦前戦後の差別、本土復帰後もなお米軍基地を押し付けられ、日本から疎外されているという思いが元知事にそう言わせたのだろう。

 実はその異質性こそが日米両政府による米軍基地押し付けの根拠となっている、と筆者は考えている。

 最近、ジャーナリストのジョン・ミッチェル氏がスクープした海兵隊の沖縄案内資料が差別的だと話題になった。米本国の海兵隊基地からローテーションで沖縄へ赴任する隊員への教育プログラムで使われている内部資料だ。本紙でも細かく紹介されたが、その中に沖縄へ基地が集中する理由をさらりと記述してあった。筆者は20年以上も沖縄米軍基地の取材を続けているが、米軍が作成した資料でこれほど明確に基地集中を説明したものは読んだ記憶がない。

 「日本政府が沖縄駐留を望んでいる。なぜなら、本土で代替施設を探せないからだ」
 それだけのことだった。  「沖縄の歴史と政治状況」という題の資料はスライドで全36枚。米軍の沖縄駐留については、「沖縄と本土の関係」の中で説明されている。日本政府が繰り返す「地理的優位性」でもなければ、「軍事戦略」でもない。日本と沖縄の関係の中に基地問題が潜伏していたことに気づかせてくれる。(このことは6月27日発売の雑誌「アエラ」にも書いた)

 「沖縄と本土の関係性」はスライドたった1枚の情報だが、その中に凝縮された基地集中の理由は、前述したグアム島との類似性を再確認させる。まず書かれているのは、「沖縄県民は日本人である前に沖縄人であることを意識する」というウチナーンチュの独自性=異質性だ。「1879年に強制的に日本帝国に引き入れられて以来、劣った民族として本土から差別を受けてきた」と歴史的な背景を説明している。

 その上で、基地問題へと転じる。
 「過去20年以上にわたり、日本政府と沖縄県は立場が異なり、多くの場合、対立しあっている。日本政府は米軍部隊と基地がとどまることを希望している(なぜなら本土で代替地を探せないからだ)」

 なんてことはない、森本敏元防衛大臣が語った通りである。沖縄に海兵隊が駐留するのは、地理的優位性や軍事的な理由ではなく、政治的に許容できるのが沖縄でしかないからだ。ただ、沖縄は過去も現在も基地を許容した覚えはなく、71年間も基地問題を最大の政治テーマにし続けている。「許容する」の主語は本土であることが、海兵隊資料の短い文章から読み取れる。沖縄に集中することを日本の政治が「許容」しているからだ。

■軋轢の隙間に基地

 外国軍が独立国の中に駐留することは政治的に難しい。沖縄だけが基地反対を言っていると思われがちだが、かつては日本本土の反基地、反安保運動はもっと激しく、警察との衝突で死者も出た。それは韓国でも、イタリア、ドイツ、英国などでも米軍基地問題には神経質だ。国家の意思と直結しない武装集団を抱えるのだから、無理からぬことだ。

 従って外国軍は政治圧力が弱ければ安定的な駐留ができる。沖縄のように政治マイノリティーの地域が好都合である。沖縄に米軍基地が集中した1950、60年代は本土で反基地運動が燃え盛り、米政府は在日米軍の「不可視化」を進めた。国民の目が届きにくい場所へ問題を集中させると、現在のオキナワが出来上がった。

 沖縄で20歳の娘さんが米軍属の男に殺された事件が、オバマ米大統領の広島訪問でかき消されたように、多くの場合、沖縄基地問題は政治を揺るがすほどの問題にはならない。あろうことか安倍首相は事件再発防止を求めた日米首脳会談で、普天間移設は名護市辺野古が「唯一の選択肢」と語った。そして舛添元東京都知事のせこい政治資金問題が報道を占拠し、20歳の犠牲は日本人の関心事ではなくなった。日米地位協定のわずかな改定で事件に対する政府対応は幕引きとなり、参院選後には辺野古移転の工事に向けた“沖縄攻め”を再開させるだろう。

■占領者の目

 沖縄における米軍駐留の政治的圧力は極めて小さいのだ。沖縄人がいくら反対しても人口比でわずか1%の抵抗でしかない。米軍にとっては実に住みよい場所であり、日本もおおむねこの状態に満足しているということだ。

 かつてGHQ(連合国軍総司令部)のダグラス・マッカーサー最高司令官は沖縄島を基地化する理由をこう語った。
 「琉球住民は日本人ではなく、本土の日本人と同化したことがない。それに日本人は彼らを軽蔑している。(中略)彼らは単純でお人好しであり、琉球諸島におけるアメリカの基地開発により、かなりの金額を得て比較的幸せな生活を送ることになろう」

 この物言いはいまも変わらない。海兵隊作成の「沖縄の歴史と政治状況」の資料にも同じような「蔑視」とも受け取れる内容の記述がある。
 「沖縄県や自治体は基地問題をテコに、中央政府から補助金や振興策を引き出している」「沖縄の新聞は偏向している」「沖縄の人は一般的に情報に疎く、彼らは限られた視界で物事をみている」

 ネトウヨといわれる輩が沖縄に向ける罵詈雑言の出元は米軍なのかもしれない、と思えるほどだ。日本と沖縄との関係性の中で、セカンドクラスの地域に負担は押し付けられ、それが差別であることを国民は気づかなくなってしまった。

 冒頭のワシントンポストの記事はグアムの現状をこう書いている。「地元の経済人は『基地を減らしたり、撤去させたりすることは経済的な自殺である』と指摘している。連邦政府は社会保障費と米兵の住民税だけで6億ドルを投下している」
 人口16万人の島にとっては連邦政府の財政移転は生命線であることがわかる。米軍の試算によると、沖縄からの海兵隊移転で3000人の雇用が生まれ、4000万ドルの税収増が見込まれているという。

 それでもグアムのエディ・カルボ知事はグアムの政治的な立場への不満を語る。「準州でなく、州になれるのなら、喜んで連邦税を払おう。どのような状態であれ、非自治地域(属領)よりはましだ。なぜならそれは植民地と同じだからだ」。
 沖縄はグアムとは経済状態が違う。補助金、交付税を合わせた財政移転は全国14位で、納税額も全国29位なので、沖縄は経済的にもけっこうがんばっている。基地が大幅に縮小されても経済破綻はあり得ないだろう。しかし基地経済のメリットや政府の財政支援をめぐる評価で地元が分断される状況は、沖縄もグアムも共通する苦悩であろう。カルボ知事はそれを「植民地」と表現した。

 米軍基地は「セカンドクラス」の構造的差別に安住し、中央政府は財政・経済的メリットを恩着せがましく誇張する。これに対しグアム住民が11月にどのような判断を下すのか目が離せない。