■対症療法を超えて

 沖縄の経済問題といえば、本土との経済格差の問題であったのだが、2015年くらいから沖縄タイムス、琉球新報の沖縄2紙が沖縄県内の貧困問題を本格的に取り上げるようになり、県内の格差に目が向けられるようになってきた。

那覇市では8500世帯(1万1千人)を超える生活保護者に197億円の税金を使っている

 しかしながら、社会問題への対応が検討されると、ほぼ確実に陥るパターンが存在する。それは、問題の根源を特定して治癒するよりも、対症療法が圧倒的に優先されるということだ。沖縄の子どもの貧困問題で、現在までに提案されている「問題解決」は、例えば、教育費用の援助、学習支援員の確保、給食費の無料化、子ども食堂、給付型奨学金、ソーシャルワーカーの充実、母子家庭の生活支援施設の設置や公共住宅への優先入居制度、子どもの居場所作りのための児童館の設置、子ども医療費助成、などであろうか。

 そのすべては重要なものであり、これらの対応が進むことで助けられる人たちが多数存在することは間違いない。その意義は決して軽んじられるべきではない。しかし同時に、これらのいずれもが貧困問題の対症療法にすぎず、貧困という症状を緩和する短期的な効果でしかない。私たちが直視しなければならないのは、例えば給食費や教育費や医療費がすべて無料化されても、あるいは仮に所得が完全に保障されたとしても、それは貧困を緩和するだけであって、決して解決しないという事実である。それどころか、対症療法には副作用が伴うために、長い目で見れば物事を悪化させる可能性が高い。

■対症療法が好まれる理由

 それにも関わらず対症療法が常に重要視されるのは、そのわかりやすさ故であろう。問題がわかりやすく定義されていれば、県民からの賛同も得やすく、「実績」を視覚化しやすいことに加えて、補助金を引き出す手段として有効だからだ。

 もちろん、一人一人は善意で考え、意見し、行動していると思うのだが、行政を動かすのは政治であり、政治家は良くも悪くも票を意識して行動せざるを得ない。補助金が票を獲得する有効な手法であることは誰も否めないだろう。予算が動かなければ行政も動けない。貧困問題の「識者」たちもその意を汲んで、行政活動をバックアップする発言をすれば、必然的に対症療法になる(逆に、そのような発言をしなければ、「識者」として行政の現場には呼ばれにくい)。行政でもボランティアでも教育関係でも、現場で尽力されている多くの方々は、目の前で苦しんでいる人たちに資金を提供できるため、心情的にも強く共感できる。手を差し伸べられる貧困家庭にとってのメリットはいうまでもない。

 すなわち、補助金を投下する対症療法は、(少なくとも短期的には)ほとんどすべての人の利害に叶うのだ。これが貧困問題の隠れた最大の問題である。結果として、これらの対症療法は、貧困世帯の自立を促すどころか、さらなる依存を招いて、長期的には貧困状態をさらに悪化させることになる。人の意識が対症療法に向けられるため、根本原因に対する認識が深まらない。

 本稿は、沖縄の貧困問題の根源的な原因を特定して、対症療法を超える問題解決の道筋を模索するためのものである。

■貧困の解消

 初めに私の結論を述べれば、沖縄の貧困問題を解決するためには、補助金に頼らず所得を上げる必要がある。

 貧困は所得水準(と世帯人数)によって定義され、等価可処分所得が一定の水準(貧困線という)を下回ると貧困世帯に分類される。等価可処分所得とは、世帯の(税金や社会保険料差し引き後の)手取所得を世帯人数の平方根(√)で割った所得である。水光熱費などの生活費用は、家族が多くなるほど割安になる傾向があるため、例えば年収400万円の4人世帯と、年収200万円の2人世帯では、前者の生活水準の方が高いという推定に基づいている。手取年収400万円の4人世帯の等価可処分所得は200万円(400万円÷√4)、手取年収200万円の2人世帯のそれは141万円(200万円÷√2)と算出される。

 例えば、2人の子どもを育てるシングルマザーが、2012年の貧困線(122万円)をクリアする最低手取年収は211万円(122万円×√3)である。税金や社会保険料が総所得の15%だとすると、248万円(211万円÷(1—15%))が貧困をクリアする年間総所得という計算になる*(注1)。つまり、「すべてのシングルマザーの年収が最低248万円を超えるような社会をどのように設計するか」ということが貧困問題解決のイメージであり目標値でなければならないはずだ。

 もちろんこれは定義上の計算であり、これをクリアしたからといって、豊かな人生が保証されるわけではないし、これを下回ったからといって不幸だとは限らない。しかしながら、沖縄の貧困を解消するために一人一人が獲得すべき最小限の可処分所得の水準を明確に認識することはとても重要なことだ。

 「補助金に頼らず」という点も極めて重要である。子供2人を抱えるシングルマザーの手取年収が211万円を超えることで、貧困問題が単純に解決するというのであれば、該当者全員に年収200万円を支給したらどうなるだろう? 実際、那覇市では8500世帯(1万1千人)を超える生活保護者に対して、197億円の税金を使っている(2013年那覇市統計書)。内容は、生活扶助、教育扶助、介護扶助、医療扶助、出産扶助などであり、最近検討されている「貧困対策」のメニューとそう大きな違いはない。世帯あたり実に230万円である。しかしこのことは、那覇市の貧困問題が解消したことにはまったくならない。むしろ逆である。

沖縄が日本で最も深刻な貧困社会である重大な理由のひとつは補助金がありすぎるためだ*(注2)。「これだけ補助金をもらっても貧困が減らない」のではなく、「補助金をもらっているがゆえに貧困が悪化の一途をたどっている」可能性を考える必要がある。

 私たちが本気で貧困問題を解決したいと思うのであれば、もっとも改めなければならないのは、「貧しい人たちにお金を届ければ、この問題が解決する」、という私たちの考え方そのものだ。「お金を必要とする人に届ける」という一見崇高な行為は、それがどれだけ意義深く感じられても、対症療法に過ぎない。困窮している人たちにお金を渡しても、彼らの考え方や生き方が変わらなければ、ひいては彼らの生産性が変わらなければ、砂に水を撒くように税金が費やされるだけである。実際、大半の貧困対策はそのように運用されているように見える。

 シングルマザーや、非正規雇用者や、無業者や、高齢者や、介護を抱える管理職たち一人一人が、いかにしてやる気に溢れ、健康で、楽しく、高い生産性を発揮しながら働くことができるか。いかにしてより多くの所得と、より豊かな生活を両立するか。そのために私たちができることは何か。これらの問いに具体的な答えを出すこと以外に、貧困問題を解決する方法は存在しない。

 貧困問題とは経済問題である。沖縄の経済は、基地と文化と社会に密接に結びついている構造的なものだ。貧困の原因は沖縄社会そのものにあるとも言える。この問題を解決するためには、①高い生産性と豊かな労働環境の実現を妨げている沖縄経済の構造要因を特定して、②構造変化を促すように行動を起こさなければならない。

 沖縄経済の実態は今まで率直に語られてこなかった。基地問題を抱える沖縄では、「沖縄県内に問題が存在する」つまり、「原因は日本政府や本土ばかりではない」)という論調はタブーだったからだ。それによって、貧困の原因特定が遅れ、問題の根源的な治癒よりも対症療法が優先され続けていることが、現在の危機的な状況を招いている要因なのではないだろうか。

*(注1)2012年の貧困線が122万円であるため、家族を抱えながら年収122万円以下の年収であれば、相当生活が困窮しているのだろうと想像したくなるが、これは誤りである。ここでも述べている通り、子ども2人を抱えるシングルマザーのケースでは、年収が248万円を切ると定義上貧困と分類されてしまう。しかしながら、沖縄の生活実感で、年収248万円あれば「人並み以上」という感覚を持つ人は少なくない。もちろん、この所得水準が十分だというわけではまったくないし、「すべてのシングルマザーの年収が最低248万円を超えるような社会をどのように設計するか」という目線は依然として妥当だと思うが、その一方で、貧困線が全国一律に適用されているために、「沖縄の貧困」が過剰に表現されている可能性があるという指摘は有効であろう。

*(注2)沖縄と基地経済に関する論考は、「沖縄から基地がなくならない本当の理由」参照。