日米首脳会談でも、ほとんど進展がなかった沖縄の基地問題。このままでは、翁長雄志沖縄県知事の言う通り、日米安保が「砂上の楼閣」になりかねない。
 「子や孫の安心、安全を守るため、大統領に直接話をさせてほしい」

沖縄タイムスのインタビューに答える橋本龍太郎元首相(2006年4月、沖縄タイムス社撮影)

来県した小渕恵三元首相(2000年3月、沖縄タイムス社撮影)

沖縄戦全戦没者追悼式後、記者団の質問に答える安倍晋三首相=2014年6月23日、沖縄タイムス社撮影

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沖縄タイムスのインタビューに答える橋本龍太郎元首相(2006年4月、沖縄タイムス社撮影) 来県した小渕恵三元首相(2000年3月、沖縄タイムス社撮影) 沖縄戦全戦没者追悼式後、記者団の質問に答える安倍晋三首相=2014年6月23日、沖縄タイムス社撮影 ≫ 「AERA」電子版、毎週月曜日好評発売中 ≪

 沖縄の米軍属による女性遺体遺棄事件を受け、5月23日に首相官邸で安倍晋三首相と会談した翁長雄志知事が強調したのは、かねて訴えていた日米地位協定の改定に加えて、オバマ米大統領への「直訴」の要請だった。政府を通じた協議では、沖縄の現状を分かってもらえないという強い危機感の表れといえる。

 しかし、政府はその思いをないがしろにした。安倍首相は5月25日夜、伊勢志摩サミットのため来日したオバマ大統領と首脳会談に臨んだ。首相は「断固」、事件に抗議したが、地位協定の改定には踏み込まず、知事と大統領との面談にも触れなかったという。一方で首相は、米軍普天間飛行場の移設について「辺野古移設が唯一の解決策であるとの立場は変わらない」と大統領に伝えることは忘れなかった。

 今回の事件は、伊勢志摩サミットやオバマ大統領の広島訪問に加え、沖縄県議選(5月27日告示)や夏の参院選を控えた時期に「容疑者逮捕」という急展開を見せた。このため、政府・与党内に「できる限り早く区切りをつけたい」との思惑が強く働いたのは間違いない。

 しかし、政府のこうした対応は、沖縄との亀裂を一層深める結果を招いている。

●成果出せるかはトップの心次第

 翁長知事は日米首脳会談の翌日、「沖縄の民意や県民に寄り添うことに何ら関心がない」と痛烈に首相を批判した。

 今では辺野古への移設とセットで語られる普天間返還だが、かつては日本の外務・防衛官僚レベルで「不可能」とされてきた。しかし1995年、米兵による少女暴行事件が発生。それをきっかけに高まった沖縄の反基地感情を抑えるため、当時の橋本龍太郎首相がクリントン大統領との会談で「普天間」を持ち出した。トップの政治判断が、返還合意という「成果」を導いた。

「これと対照的なのが今回の安倍首相の対応です」

 沖縄国際大学の照屋寛之教授(政治学)はこう指摘する。

 沖縄でのこれまでの選挙結果から、辺野古移設に反対する民意は明示されている。「沖縄に寄り添う」と繰り返しながら、県民の声を踏みにじり、法廷闘争に訴えてでも辺野古に新基地を造る、という現政権の姿勢は20年前の「普天間返還合意」の精神に立ち返れば、明らかに倒錯している。

 なぜこうなったのか。

 橋本政権時代に首相秘書官を務めた江田憲司衆院議員(民進党代表代行)は、安倍首相と橋本元首相の沖縄政策への姿勢の違いをこう説明する。
「沖縄に対する特別な思いが全くない安倍首相と、政治家としてのライフワークにしていた橋本さんとでは、雲泥の差があります」

 橋本氏は、幼少時に可愛がってもらったいとこが沖縄戦で落命したこともあり、95年の事件が起きる前から沖縄への関心が強かった。普天間移設をめぐっては、沖縄の歴史や基地問題に関する本を読破した上で、沖縄県の大田昌秀知事(当時)との会談に臨んだ。橋本首相と大田知事の会談はひざ詰めで、ときには酒も酌み交わしながら、計17回、数十時間にわたった。

 沖縄の基地所在市町村長らとも対話し、首相自らが先頭に立って沖縄の基地問題に取り組むことを約束した。「やっと日本の首相が沖縄の基地問題に目を向けてくれた」とむせび泣く首長もいたという。

●強権的な首相に心閉ざした知事

 一方、安倍政権は翁長知事の就任後、約4カ月間にわたって沖縄担当相を除く閣僚との面談を避けるなど、辺野古新基地建設に反対する翁長知事をあからさまに冷遇した。この間、菅義偉官房長官は辺野古での建設作業を「粛々と進める」と繰り返し、沖縄側の反感をかった。

 2015年4月に安倍首相と翁長知事の面談が初めて実現した直後、江田議員は維新の党代表として沖縄を訪ね、翁長知事と面談した。このときの印象を江田議員はこう振り返る。
 「翁長知事は就任当初、腹を割って安倍首相と対話し、ある程度のりしろを作って政府と交渉しようという思いがありました。しかし、安倍政権の強権的な姿勢と冷淡さにあきれ、一切の妥協はできないと考えるに至ったのです」

 沖縄に対する政権の強い思いは、橋本氏の後継の小渕恵三内閣でも引き継がれた。小渕氏は学生時代から沖縄戦の遺骨収集などで沖縄に足しげく通い、「沖縄は第二の選挙区、ふるさと」と公言するほど、沖縄に深い思い入れがあった。その象徴が、警備上の課題などから不利との下馬評を覆した00年のサミットの沖縄開催だ。

 97~00年、外務省から沖縄県に出向し、九州・沖縄サミットを実務面で担った山田文比古・東京外国語大学教授は「この20年間で、政治の世界もメディアも世代交代が進み、すっかり様変わりしてしまいました」としみじみ話した。

 かつては、沖縄県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦や27年間にわたる米軍統治など、辛苦の歴史を負わせた沖縄に対する「負い目」をもち続けた一部の保守政治家や官僚が存在し、政府と沖縄の関係をつなぐ「安全弁」の役割を果たしてきた。しかし今、こうした構造はほぼ崩れている。

 「保守の政治家で沖縄の痛みに寄り添う感受性をもつ人は今やほとんどいません。本土メディアも一部を除き、同様の傾向を示しています」

 こう語る山田教授は、沖縄との関係をつなぐ妙案は浮かばない、と嘆息する。

「忘れてはいけない歴史が、かくも簡単に忘れられていく現実をどう考えたらいいのでしょうか。『歴史を勉強し直せ』と言うのは簡単ですが……」

●政府の対策は街路灯の増設

 オバマ大統領は5月27日、安倍首相とともに広島を訪問。日米同盟の絆の強さをアピールし、慌ただしく3日間の訪日スケジュールを終えた。一連の展開を、前出の照屋教授はこうとらえる。

 「橋本さんや小渕さんなら、数分間でも翁長知事と大統領の面談をセットしようと奔走したはずです。思いやりのない政治が続いていることが、沖縄の基地を不安定化させている」

 米国との同盟強化を重視したのは橋本、小渕政権ももちろん、例外ではなかった。橋本氏は「普天間返還」を目玉とする沖縄の負担軽減を前面に打ち出す一方、日米ガイドライン関連法など、冷戦後の日米軍事協力の深化を怠らなかった。

 小渕氏が尽力した九州・沖縄サミットをめぐっては、米国務省のスタッフが「普天間移設問題を前進させる機会」だとクリントン大統領に進言していた文書も見つかり、サミット開催を政治利用しようとした米国側の思惑も露呈している。

 それでも、現政権への不信感は格別根深い。理由はこうだ。

 「安倍首相は集団的自衛権の行使容認に取り組むなど安全保障政策や憲法改正に熱心ですが、日米安保は沖縄の過重な基地負担があってこそ支えられているという認識があるようには見えない」(照屋教授)

 安倍政権が長期化すれば、沖縄はますます安保の犠牲を強いられるのではないか、との「恐怖心」を拭うことができない、と照屋教授は言う。

 事件に抗議する県民大会は、6月19日に那覇市内で開催されることが決まった。その4日後は、沖縄戦の犠牲者を追悼する「慰霊の日」だ。沖縄では8月15日の終戦記念日よりも色濃く「戦争」を思い起こす日で、鎮魂ムード一色に包まれる。県民の心に「過去の戦争の悲劇」と「現在に至る基地被害の悲劇」が重なるのは避け難い。

 政府に「沖縄の基地の整理縮小」を促す国会決議は1971年以降、繰り返し可決されている。にもかかわらず、基地は目に見える形で整理縮小されてこなかった。

 照屋教授はこう主張する。
「全国の米軍専用施設の74%が沖縄に集中している異常事態を解消しない限り、根本的な解決にはつながりません」

 前出の江田議員は「沖縄の人々の心を解きほぐす努力をしないと、溝を埋める糸口は見つからない」と指摘。日米地位協定について「従来の運用改善ではなく、将来の課題としてもう一歩踏み込んでいくことも大事」と述べ、米政府との改定交渉に踏み切るべきだと唱える。

 沖縄県議会は5月26日、在沖米海兵隊の撤退を求める決議を初めて可決した。一方、政府が同じ日に発足させた「沖縄県における犯罪抑止対策推進チーム」で取り上げられたのは「街路灯の増設」といった施策だった。

 安保体制を揺るがそうとしているのは不作為を続ける政府であって、沖縄ではない。(編集部・渡辺豪)
朝日新聞出版 AERA 2016年6月6日号に掲載された記事を同社のサイト「dot.」から転載しました。