よくよく考えてみると、異常だし、決して通常ではないし、正当な理由が見当たらない理不尽きわまりない状態であっても、それがあまりにも長く続いてしまうと、そのこと自体にしだいに感応しなくなり、ああこれが普通のことなんだという麻痺(まひ)状態に陥るのが私たち人間の悲しい性(さが)だ。

うるま市の女性遺体遺棄事件を受け、無言で抗議の意思を示し行進する集会参加者=22日、北中城村石平・キャンプ瑞慶覧前


 たとえば、百年ほどの近現代の歴史を振り返ってみても、いわゆる先進国においてさえ、女性に参政権が認められていなかったり、人種差別が制度化され、有色人種が入れないレストランや、黒人が乗れないバスや列車があったりした。さらには、奴隷制が当たり前のように存在していたり、植民地が世界各地にあって、宗主国の人間たちが、植民地の人間たちを「二等国民」扱いするような差別的な振る舞いを当たり前のように行っていた。


 インド独立の父と言われるガンジーは若い頃、南アフリカの駅で乗車券を購入し、列車の1等席に乗車しようとしたら、駅員につまみ出され、荷物もろともホームに放り出された経験があった。1903年に大阪で開催された内国勧業博覧会の「学術人類館」で、異民族のサンプルということで「琉球人」が生きたまま展示されていた。これらは今からみれば随分と異常なことである。だが一定の時間続くとそれが普通になる。


 それで問いかけてみる。そもそもアメリカという国は、21世紀の今に至るまで、何だって自分の国の外の、別の国々の領土に軍事基地を持っているのか? なぜそれが当たり前のようなことになっているのか? それを今の日本という国でみたとき、なぜ独立国である自分たちの国の領土に外国の軍の基地が当たり前のように居すわっているのか? 僕らはそれをなぜ当たり前のように受け入れているのか? 


 ウオーキングをしていた沖縄の20歳の女性が、見ず知らずの男に、いきなり襲われ、凌辱(りょうじょく)され、殺害され、その遺体を雑木林に捨て去られるむごい出来事が起きた。発見された遺体は損傷が激しく言葉を失うような状態だったという。


 その男は、沖縄に当たり前のように居すわっている米軍事基地の海兵隊員だった男で、今は除隊して軍の基地内で軍属として働いているアメリカ人だった。逮捕連行される際のテレビ映像をみると黒人兵だったことがわかる。どのような人生の来歴を、アメリカや海外の戦場でたどってきた人物なのだろうか。被害者の無惨(むざん)な遺体が見つかった場所に足を運んだ。鬱蒼(うっそう)とした恩納村の森があった。こんなところに捨てられていたのか。言葉にできない感情に支配された。「基地がなければこんなむごい出来事は起こらなかった」というのは論理的に正しい。


 実は、僕は1995年に沖縄で起きたもうひとつの悲しい事件のことを思い出していた。あれも実にむごい出来事だった。日米地位協定でまもられた海兵隊員3人の身柄を米軍当局は沖縄県警に引き渡そうとしなかった。沖縄県民の怒りは沸点に達して、8万5千人の県民抗議集会が開催された日に、当時、普天間高校3年生だった女性が次のように訴えた。「私たちに静かな沖縄を返してください。軍隊のない、悲劇のない、平和な沖縄を返してください」


 その訴えから21年。一体何が変わったというのだ。日米地位協定はどうだ? あの95年の事件が直接的なきっかけになって、普天間基地の返還を、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日大使が合意して大々的に記者会見したのは翌96年のことだった。けれども、あれだって冷徹に考えてみれば、沖縄県民の反米感情・反基地感情を押さえこむために、当時の橋本内閣が、大田昌秀県知事らが策定していた「基地返還アクションプログラム」の最優先項目を借用しただけのことだったのではないか?


 世界一危険な米軍基地・普天間の移転が「はじめにありき」というのはウソである。1995年の出来事があって、沖縄県民の怒りの声をおそれたからあのような「成果」が必要だったのだ。


 先週、訪米した翁長雄志沖縄県知事と会談したモンデール氏は、その当時のいきさつについて本紙の取材に対し「ハシモトが電話で『普天間を閉鎖したい。手助けしてくれないか』と聞いてきた。その日の午後にペリー国防長官に電話で打診したところ『よし、やろう』と言ってくれた。2日間で大枠をまとめた」と証言したそうだ。橋本首相の言葉には「移設」の言葉は見当たらない。だとすれば、辺野古に新基地をつくらせようとしている真の主人公は誰なのか。もうそろそろ気づいてもいい頃だろう。


 伊勢志摩サミットと、それに続くオバマ大統領の歴史的な「広島訪問」を前に、今度の出来事は「最悪のタイミング」で起きたと評論するコメンテーターや記事にこれでもかというほど接した。何とも言えない不快感がこみ上げてくる。これらの人々にとっては、政治日程をそつなくこなすことの方が、ひとりの人間の生命が理不尽に奪われたことの意味を考えることよりもはるかに重要だと言わんばかりだ。


 かつて沖縄サミットの際に平和祈念公園を訪れたビル・クリントン大統領(当時)は、沖縄のことを「太平洋の要石」とさらりと言ってのけた。その「要石」の立場を強いられている沖縄の社会で、どのような出来事が起きているのかに微塵(みじん)たりとも想像力も働かせまいとするチカラが働いているかのようだ。オバマ米大統領は、何も個人的な遺産づくりのために広島を訪問するのではあるまい。広島と同じ比重で、もうひとつの不条理の地、沖縄をいつの日か訪問されてはいかがか?


 そのためには、沖縄の置かれている理不尽な状況について、僕らはもっともっとアメリカに伝えなければならない。あなたの国の軍事基地は沖縄の地元の人々からは、もはやのぞまれていないのだ、と。(2016年5月25日付 沖縄タイムス文化面から転載)