沖縄県うるま市で行方不明になっていた会社員の女性(20歳)が19日、遺体でみつかった。米軍嘉手納基地勤務の軍属、ケネス・シンザト・フランクリン容疑者(32)が死体遺棄容疑で逮捕された。フランクリン容疑者は元海兵隊員だった。沖縄県民を犠牲にする米軍基地問題は終わらない。

那覇地検へ送致される容疑者=5月20日午後2時33分、沖縄県警うるま署

安慶田光男副知事(右)に女性遺体遺棄事件について謝罪するローレンス・ニコルソン四軍調整官(左から2人目)、ジョエル・エレンライク在沖米国総領事(左)=5月20日、沖縄県庁

那覇地検へ送致される容疑者=5月20日午後2時33分、沖縄県警うるま署 安慶田光男副知事(右)に女性遺体遺棄事件について謝罪するローレンス・ニコルソン四軍調整官(左から2人目)、ジョエル・エレンライク在沖米国総領事(左)=5月20日、沖縄県庁

 日米両政府が繰り返す再発防止はもはや意味がない。アメリカ兵みんなが悪者ではない、という意見が必ず出てくるが、沖縄にこれほど米軍基地が集中するから事件・事故が多いという事実に議論の余地はない。アジアに展開するアメリカ兵の人数のうち、沖縄に配備されている割合はすさまじい。

 0.6%の国土面積に75%の米軍基地が集中している実態はよく知られている。では、アジア全域に視野を広げてみよう。米軍はアジア太平洋全域に約10万人を前方展開している。このうち沖縄には2万5000人を駐留させているので全体の25%になる。アジアに展開する米軍の役割は自国の利益保護と同盟国の安全保障である。

 日本、韓国、オーストラリア、フィリピン、タイの同盟5カ国に対し、アメリカは条約上の防衛義務を負う。この5カ国の国土面積は合計890万平方キロメートルで、沖縄は2300平方キロメートル、率にすると0.025%でしかない。アジアの中でみると針の先ほどの0.025%の場所に25%の兵力を押し込めている異常な状態こそが、沖縄の米軍基地問題だ。ビジュアル的に説明すると、4000人が100トンの荷物を担ごうとした場合、このうちのたった1人に25トンを背負わせている計算になる。世界でこれほど軍事化された場所はないだろう。

 この不公平で不正義な状態の中で過去から現在にかけて終わらない犠牲の積み重ねがある。

 ところが日本国内でこの実態は的確に認識されないばかりか、お金のため沖縄自らが基地を欲していると主張する人たちが増えている。日本の安全と平和、繁栄のために沖縄の犠牲はやむを得ないと考え、沖縄を人身御供にするときの免罪符として、沖縄の地理的優位性を持ち出す。神様がこの場所に島をお造りになったから、仕方ないでしょ、と創造主に責任をなすりつける。だから沖縄の犠牲に後ろめたさを感じないで済む。

 名護市辺野古を埋め立てないでください、と何度お願いしても政府は地元の民意を踏みにじって平気で青い海を埋めようとする。東京の政治エリートたちは「沖縄の感情論も分かるけど、地理的優位性であり、抑止力であり、安全保障なんだよ」と反対派の主張を稚拙だと見下す。開発段階で墜落事故が頻発したオスプレイを住民地域の真ん中にある普天間飛行場に配備することについても当時の野田政権(民主党)は平気だった。

 この差別構造を米国は利用してきた。沖縄戦の前年、1944年に海軍省作戦本部が沖縄占領に向けた「民事ハンドブック」をまとめている。歴史、言語、文化、政治、経済などあらゆる角度から沖縄を分析し、占領政策の資料とした。その中の日本と琉球の関係性についてこう書いている(抜粋・省略)。

 「日本人と琉球人は人種的、言語的な類似性にもかかわらず、日本人は琉球人を同等とみなしていない。したがっていろいろな方法で差別されている。これに対し琉球人は劣等感を持つわけでもなく、むしろ独自の伝統と中国との長い文化的な関係に誇りを持っている。日本と琉球の間には政治的に利用し得る軋轢がある。」

 筆者なりにこの日琉関係の分析を読み解くと、日本は沖縄を差別しているから、沖縄で少々犠牲が出ても日本国内では大きく問題化しない、ということだ。外国軍の駐留は古今東西、受入国で政治圧力を強く受ける。米軍駐留の安定的に維持するためには政治圧力を小さくする必要があり、沖縄ではそれが比較的弱いだろう、と見ていたことがうかがえる。この米国の分析が正しかったことは、戦後繰り返し立証された。普天間飛行場のヘリコプターが沖縄国際大学に墜落したとき、全国メディアはプロ野球読売巨人軍の渡辺恒雄オーナーが辞任した、という話題がトップで、その次がオリンピックで柔道の柔ちゃん金メダル、その次も柔道・野村の金メダル、そしてようやく沖縄でヘリ墜落のニュースが報じられた。

 71年前、米軍が放つ「鉄の暴風」で沖縄が玉砕の島となろうとしていた6月、東京では大相撲夏場所が開かれていた。海軍沖縄根拠地隊司令官だった大田実中将は「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後生特別ノゴ高配ヲ賜ランコトヲ」と海軍省次官に電報を送り、その一週間後の13日に壕の中で拳銃自殺した。ちょうどその日、両国国技館で夏場所の千秋楽があった。戦後の日本は、大田中将が打電した「ご高配」どころか、沖縄を米軍に差し出して独立した。1972年にようやく祖国復帰を実現するのだが、基地の形は変わらなかった。

 そしていま中国に尖閣諸島が狙われているから、沖縄の米軍基地は動かせないと日本政府は考えている。この思考は世情を見誤っている。沖縄に駐留する最大兵力の海兵隊は毎年、中国人民解放軍とも定期訓練を行い、軍事外交を展開しているのだが、この現状を日本人は知らされていない。毎年2月にタイ、そして4月にフィリピンで開催される共同訓練には全世界から20〜30カ国の軍隊が参加し、人道支援や災害救援に対する国際協力体制の構築に取り組んでいる。これに参加する中国軍司令官らは「米中協力はアジアの安全保障に大きく貢献している」と自らの存在を誇示する。これが沖縄を拠点に海兵隊が取り組むアジアの安全保障である。

 この米中関係の深化は憲法改正を志向する安倍内閣にとっては不都合な現実だろう。安倍首相は口を開けば、「日本を取り巻く安全保障環境が一層厳しくなっている」と危機感を煽り、米軍と自衛隊の一体化を進めようとしている。ところが中国軍は米軍やアジア各国の軍とともに人道支援、災害救援の共同訓練に積極的に関与し、「米中協力でアジア安保だ」と主張している。中国を仮想敵とする安倍流の安保観はフィクションどころかジョークにさえ聴こえてくる。

 仮想敵を想定した軍事強化なのか、それとも仮想敵とも関係改善を探る安全保障のいずれを選択するのか―。憲法改正で軍事強化路線を進む安倍政権を抱えた日本の有権者は、その選択を突きつけられている。いずれかを判断する上で知っておきたいのは、米軍は日本だけの守護神ではないということだ。アジア太平洋地域全体の海が穏やかであれば、結果として日本も安全だという理屈だ。それは警察と同じで、地域の警察署があなたの家だけを警護しているではなく、所轄する地域で犯罪を防止すれば、結果としてあなたの家も安心だ、ということだ。だから中国軍を積極的に引き入れて、人道支援や災害を想定した国際共同訓練を定例化させている。

 沖縄が地理的に優位だからでも、日本防衛だけのために米軍が駐留しているわけでもない。アジア全体の安全保障体制を構築し、冷戦後の秩序を構築していくグローバルな課題のために米軍は忙しくしているのだ。望遠鏡でアジア全域を見渡す米国。顕微鏡で尖閣を覗き込む日本。この2つの国は視野も度量もまるで違う。このギャップの中で沖縄の犠牲が沈殿していく。

 若い命を奪った今回の事件は、沖縄の叫びを無視してきた日米両政府の無作為の罪でもある。軍事を動かすのは政治である。日米安全保障体制を維持しながら、基地の配置(態勢)を変えることは可能だ。米軍再編で海兵隊の主力部隊がグアムへ移転することが、何よりの証拠だ。体制(システム)を変えなくても、態勢を変えるのは難しいことではない。沖縄の基地問題は態勢を調整するだけの問題であり、基地を動かす不動産の類だ。そんな基地問題を放置する政治の責任は重いということだ。

 米大統領選で共和党指名を確実にしたドナルド・トランプ氏が、日本が米軍駐留経費をもっと上乗せしなければ撤退する、と発言している。これに民進党の長妻昭代表代行は7日の民放番組で、「日本も駐留経費を出していることや、沖縄が極東の重要な拠点であることを外務省が早急に説明しないといけない」と述べている。

 日本が差し出せるのは、金か沖縄くらいなのか。長妻氏だけでなく、多くの政治家がそう考えているかもしれない。日本はいつまで沖縄を人身御供として差し出せば気がすむのか。

 日本の政治は若い女性の死を誠実に受け止めるべきだ。自民党や民進党など基地容認派は沖縄の基地集中を解消するため、本土移転を真剣に考えるべきだ。海兵隊は普天間だけを本土へ持っていくことは、機能的に難しいが、全部隊セットで動かすのはわけもない。海兵隊を運ぶ船は長崎県佐世保港に配備されているのだから、始発駅の長崎を出た電車の乗車駅はどこでもいい。基地容認派が持続可能な日米同盟を主張するなら、海兵隊だけでも本土へ持っていく責任を自覚すべきだ。

 他方、米軍削減を主張する政党は、どのように減らすのかを具体的にプラン化し、論理的なオルタナティヴ(選択肢)を国民に提示し、広く賛同を求めるべきだ。「日米アンポ」に対する賛成・反対、右・左、保守・革新の対決は冷戦崩壊で終わった。「アンポ反対」の主張は聞くが、軍事に頼らない側から新たな安全保障政策が出てこないのが、日本の政治を脆弱化させる一因と思う。米軍再編を分析すれば、軍隊の配置はいかようにも調整可能であることはすぐに分かるはずだ。その調整ができるかどうかは政治力の問題だ。

 海兵隊の機能、特性を知れば具体策はいくらでも出てくるのだが、不思議なことに日本では実態論がないまま、おかしな「沖縄論」がメディアに氾濫する。例えば、沖縄は基地で食っているから本当は基地を欲しがっている、沖縄の新聞は偏向しているからぶっつぶせ、もともと基地があったところに住民が近づいてきた―。解決策を懸命に探る知的作業より、反対者を潰そうという攻撃性が言論空間に蔓延する。仮に一部の生活者が基地収入に依存している現実があるにせよ、それがどうした、と言いたい。70年以上も住民は基地と同居するのだから、当然利害が派生する。当たり前のことを、「誰も語らなかった沖縄の真実」と書き立てる低劣な書籍が書店に並ぶ。問題の本質は、沖縄の基地集中は不公正であり、是正すべき政治課題であるということだ。自民党の中にも低劣な議論に乗せられて沖縄メディアを罵り、広告を止めろと言い放つ国会議員がいるのだから、政治の劣化は凄まじい。

 政治の現状はお寒いのだが、それでも軍事を変えられるのは政治しかない。

 政治は知恵を出して代替策を提示できなければ、女性の死に報いることはできない。中国脅威論、抑止力、平和、環境といった定型の論争はもはや合理性を持ち得ないし、聞き飽きたし、具体的な解決策を生み出さないことも知っている。私たちは安保賛成・反対、保守・革新、右・左といった不毛な議論を忌避する。今度こそ具体的な政策を提示するよう政治に求める。その取り組みを評価の基準にすべきだろう。

 事件を受けて沖縄ではおそらく、政府への抗議行動が激しくなる。そして嵐が通り過ぎるのを為政者はじっと待つのだ。政策に犠牲は付きものだ、というのが東京の政治エリートの冷徹な思考回路だ。そして日常に流されていく沖縄では、ある時突然、別の悲劇に襲われる。

 この連鎖を止める責任は政治にある。普天間を辺野古に移転すれば、犠牲は止まるというのなら、その根拠を示すべきだ。選挙カーで未来を語るのもいいが、女性の死にどう報いるかも明らかにすべきだ。