1990年代初め、アメリカで児童虐待に介入する「児童保護課」で勤務したことがあります。サンフランシスコから南に1時間ほどのシリコンバレーと呼ばれる一帯に位置する、サンタクララ郡の行政施設で、日本の児童相談所の虐待専門部署といったような所です。

 「虐待大国」と揶揄(やゆ)されるほど、アメリカでは事例が多くあります。虐待していないのに、介入されてしまったというエピソードが報道されることもありますが、それでも質・量ともにアメリカ社会における虐待の問題は深刻です。介入件数は、単純な人口比でも日本の7.5倍と言われています。

 アメリカの虐待介入は、「児童虐待報告」から始まります。学校や医療機関からの報告が多いのですが、文書での報告よりも先に、「緊急班」に電話連絡が入り、事案が虐待報告に該当するかどうかの相談から始まります。虐待(の可能性)を目撃しながら報告を怠った場合、医療・教育・福祉などの専門職は、資格剥奪(はくだつ)を含む処分が法律で規定されています。外部からの相談を受ける緊急班のインテークワーカーは、コールセンター・スタッフのようにヘッドフォンマイクをつけ電話対応に追われていました。

 その緊急班の仕事のひとつが、「緊急介入」(子どもの身柄の確保、親からの分離など)の必要性に関するスクリーニングです。大容量のサーバーにつながれたコンピューターに映し出された過去の虐待報告・介入歴を参考に、緊急介入が必要と判断されたケースは「緊急介入班」に報告され、具体的な介入が行われることになります。

 緊急介入により、子どもを親から分離した場合、ほとんどが当日、少なくとも2日以内には、契約している里親に預かってもらいます。特別な理由がない限り、一時保護所で1週間以上過ごすことはありません。思春期以降の子ども達は里親家族から逃げてホームレスになってしまうことがあり、子どもの年齢が高いほど里親家族ではなく、施設入所になる場合がありました。

 最初に介入が行われて3~6週間で裁判が行われます。裁判では、まず児童保護課(行政)の介入(親からの分離など)が適切だったか判断されることになります。介入が適切と判断された場合、子どもを取り戻すための保護者に対する「条件」が、裁判官によって言い渡されることになります。保護者に薬物やアルコールなどの依存があればそのリハビリテーション、生活全般に改善が必要ということであれば生活保護や就労サービスなどの活用による生活の立て直し、アンガーマネジメント(怒り感情の管理)やペアレント・トレーニング等々、裁判官がそれぞれのケースに応じて言い渡すのです。

 それらの条件は、実際には児童保護課のアセスメント班が作成して、参考資料として裁判官に提出しますが、それを児童保護課(行政)ではなく、裁判官が言い渡すということが重要なポイントです。裁判所は達成状況を3~6カ月ごとに見直し、子どもを家族に戻す決定のための参考にします。

 当時、「虐待」という現象が今ほどに問題化していなかった日本から来た私にとっては、裁判所の関わりがとても新鮮に、時に疑問に思ったものです。しかし今考えると、「虐待介入」を行政だけでやらない仕組みだと考えられます。日本は法にもとづく行政だけでなく、法の解釈も行政がやってしまう(やらざるを得ない)という、行政中心(行政過剰負担)社会です。その一方、市民にとって司法というのは「こじれた時」に出て行くものであって、日常の生活とはかけ離れたものになっています。日常に司法の目が入ることによって、行政執行に対しチェックが入ることになります。同時に、行政の側も自らの仕事が法律で守られるという安心感も得られると思うのです。

 これまで日本で報道されてきたケースを見ていると、法律の枠で十分守られていない児童相談業務の弊害が存在するのではないかと思うのです。虐待が疑わしい状況で、行政による踏み込んだ介入がどれだけ法的に許され、そして介入が求められているのかを明確にするためには、行政ではなく司法による判断が必要になってくるはずです。

 数年前のある学会で、児童相談所の相談員をされている方が、虐待介入で孤立している児童相談所の現状について発表していました。本来、児童相談所(あるいは市町村の児童家庭課)は、虐待介入の対象となってしまった(その可能性のある)子どもやその保護者・家族を支援していくための機関です。であるにも関わらず児童相談所は、ある事案が「虐待に相当するか」を判断する司法的役割、子どもを家族から分離する強制執行的な役割(その発表者は「警察的役割」と表現していましたが)のために、子どもと家族を支援する本来の関係構築が困難になっているという内容でした。

 確かに、保護者からすると「取り締まり機関」であるところの児童相談所に対して身構えてしまい、心を開いて相談していくような関係構築は難しくなっていくわけです。この発表者の主張は、児童虐待介入に司法の役割を導入することで、児童相談所は取り締まり機能ではなく、家族の支援機能を強化できないものかということでした。

 誰かの人権を保障するということは、ときに誰かの人権とのせめぎ合いを伴います。児童虐待では、時に子どもの人権を擁護する児童相談所と親の権利を主張する保護者のせめぎ合いが、事案に対する介入を困難なものにしています。

 私たちは、学校の社会科の時間に「三権分立」について教わります。「立法」によってつくられた法律に従って「行政」がサービスを提供し、それが法的に適切なものであるか「司法」がモニターするという社会の在り方です。三つの大きな仕組みが相互に支え合ったり、時にせめぎ合ったりする、力動性・バランス性のことです。児童相談所(行政)と保護者の間の葛藤を、司法を含む大きな社会システムの中で吸収することで、虐待介入の現場がよりよいものになってくれればと思います。