タイモ畑の中にぽつんとあった保育園に通っていたので、いつもタイモ畑が遊び場だった。カエルとかバッタを捕ったりして、小学校低学年くらいまでずっと。

中学のときによく来た宇地泊の入江(2010年、写真・石川竜一)

驚くほど澄んでいた真志喜の海(2012年、写真・石川竜一)

自宅の近所の我如古ヒージャーガー(2014年、写真・石川竜一)

住宅地に残されたフェンスの支柱(2014年、写真・石川竜一)

台風で飛ばされるビニール(2012年、写真・石川竜一)

近所のキンタコ(2011年、写真・石川竜一)

中学のときによく来た宇地泊の入江(2010年、写真・石川竜一) 驚くほど澄んでいた真志喜の海(2012年、写真・石川竜一) 自宅の近所の我如古ヒージャーガー(2014年、写真・石川竜一) 住宅地に残されたフェンスの支柱(2014年、写真・石川竜一) 台風で飛ばされるビニール(2012年、写真・石川竜一) 近所のキンタコ(2011年、写真・石川竜一)

真志喜の海は今はきれいに整備されているけど、昔は汚いジャンクヤードがあって、雰囲気も暗かった。防波堤の内側は沼みたいになっていて、テレピアがうじゃうじゃいた。石を投げるとエサと勘違いして暴れるのがおかしかった。

昔、父親たちが若い頃、米軍の船が座礁して、コーラとか流れてきたいろんな物を拾ったという話を聞いた。

小学生のときはサッカーをやっていた。宜野湾JFCの選抜チームに入ったこともあったけど、中学では丸刈りがいやだったので、やめた。親のすすめもあって、平仲ボクシングジムに入った。遊び歩くわりには弱虫で、よく泣かされていたこともあったから。

2002年、高校3年のとき県代表(ウェルター級)として国体に出場した。内地のジムからスカウトされたが、続けてもしょうがないと思って断った。

世界チャンピオンにならなければ意味はない。たとえなれたとしても、選手寿命は30歳くらいまで。回りを見渡してみても、厳しいと思った。ボクシングやめたら目標を失った。

沖縄国際大学に入ったけど、やることがなかった。友達付き合いもなく、落ち込んでいた時期。

写真を取り始めたのは20歳。那覇のリサイクルショップのおじさんに呼び止められ、オリンパスのカメラを売り付けられた。それからはずっと大学の写真部の暗室にこもっていた。

テーマを決めず、ただ撮っていた。雨の後って車にひかれて死んでいる猫が多いけど、それをビニールに入れて、山に行ってポーズ付けて撮ったり、とか。